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浜名湖

観光立国への新ルート 昇龍道を行く≪18≫ ~東名高速の下くぐる遊覧船~ 「はままつフラワーパーク」を一周するフラワートレイン  静岡県浜松市の観光名所の一つ浜名湖。最大水深は約16m、広さ約65平方㎞と面積では日本で10番目の湖だ。言い伝えによるとその昔、伝説の巨人・ダイダラボッチが転んで地面に大きな手の跡がついた。そこに水が溜た まり、今の浜名湖になったのだという。確かに湖全体を見ると、どことなく手を広げたような形をしている。  湖岸を歩いてみると、思っていたよりも磯の香りが強い。浜名湖が淡水と海水の混じる汽水湖であるためだ。元は淡水湖だったが、1498年の大地震と高潮で海と通じるようになった。スッポンやカキ、トラフグなどが名物で、特に浜名湖のウナギは全国的に有名だ。     歩いていると遊覧船乗り場を見つけたので乗ってみることにした。まだ少し時間に余裕があったので、チケット売り場の男性職員に見どころを尋ねてみると「船で東名高速道路の下をくぐるのは、めったにできない体験ですよ。冬なら渡り鳥もいますし、季節ごとに違う味わいを楽しめます」と教えてくれた。  乗り込んだのは250人乗りの大型船・奥浜名丸。夏休み中とあって船内は子供連れが多く、船が動きだすと子供たちはみな目を輝かせながら窓の外を見詰めていた。展望デッキでは乗船客たちが美しい湖上の風景を楽しんでいた。西行法師が瞑めいそう想にふけったと伝えられる岩を通り過ぎたり、東名高速道路の下をくぐる時などはカメラを構え記念撮影に夢中になっていた。  水上からの眺めの次は、山上からの眺めを楽しむことにした。湖畔にある標高113mの大草山頂上までロープウエーで移動すると、山頂は周囲360度を見渡せる展望台になっていた。徳川家康が居城していた浜松城はもちろん、井伊直虎が出家していた龍潭寺など、浜松市のさまざまな歴史の面影を一望することができる。浜名湖を訪れた人にはぜひ一度見てもらいたい絶景だ。  帰りには湖の近くにある「はままつフラワーパーク」にも寄ってみた。水面に浮かぶハスの花などは見ているだけで心を涼しくさせてくれる。園内を周遊する「フラワートレイン」という乗り物もあるので、夏の暑さを気にせず園内の花を見て回れるのは魅力的だ。春の季節には桜の花を見るため、大勢の外国人が来るらしい。芝生や休憩スペースもあちこちにあるので、昼食を持ち込んでピクニック気分を味わってみるのもいいだろう。 (「昇龍道」取材班)

カジキのソテーパプリカソース

【材 料】 < 2 人分 調理時間:20 分> カジキ切り身・・・・・・・・2枚 にんにく・・・・・・・・・1 片 岩塩・・・・・・・・・・・少々 胡椒・・・・・・・・・・・少々 パプリカ赤黄・・・・・・・・1個 キュウリ・・・・・・・・・1 本 玉ねぎ・・・・・・・・1 / 2 個

「掃除道」は日本人の生き方

~苦心の境地と周りへの気配り~ 八合目での法要 8月3日、令和初、第10回の節目となる今年の「聖徳太子銅像と富士山」は快晴に恵まれました。山梨県富士吉田市にある浄土真宗如来寺の門徒さんら31人で、朝6 時、お勤めをしてマイクロバスで富士山五合目へ。2列になって八合目を目指しました。

元受刑者たちを受け入れ

「僕は最後まで人を信じます。そして、最後まで自分がこの世に生きていたという証しを立てて逝きたい」7月19 日、北海道教育大学の講演会に招かれた北洋建設(本社:北海道札幌市)の小澤輝真社長(46)は、大学生を相手にこう語った。

ズッキーニチャンプルー

【材 料】 < 3 ~ 4 人分 調理時間:20 分> スパム・・・・・・・・・・200g 木綿豆腐・・・・・・・・・1 丁 ズッキーニ・・・・・・・・1 本 パプリカ赤黄色・・・・・1/ 2個 玉ネギ・・・・・・・・1 / 2 個 卵・・・・・・・・・・・・3 個

遊牧民への感謝を行動で

人生の半分をモンゴル取材にささげてきた男、清水哲朗さん。「まずは自分がモンゴル人にならないと、自然な写真が撮れない」と語る通り、遊牧民の日常に入り込んで風景や表情を捉えるのが、清水さんのスタイルだ。そのため1度や2度、客人として訪ねるのではなく、何度も通って同じものを食べ、力仕事も手伝う。

郡上八幡(下)

脚光を浴びる「天空の城」  山間の小盆地・郡上八幡に、日本文化の原型ともいうべき郡上おどりが400年にもわたり踊り続けられてきた背景には、郡上藩の後押しがあった。初代藩主、遠藤慶隆は、士農工商の融和を図るために、村々で踊られていた盆踊 りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい」と奨励、年ごとに盛んになったという。  藩主の居城、郡上八幡城は、市街から130㍍ほど上った城山にある。天守は昭和8年に再建された模擬天守だが、いまこの城が「天空の城」として脚光を浴びている。「天空の城」と言えば、「東洋のマチュピチュ」竹田城(兵庫県朝来市)が有名だが、郡上八幡城も、雲海の中に浮かぶ城。パンフレットの写真は、霧の中に白亜の天守が浮かび上がり、実に幽玄な趣を漂わせている。  この天空の城を観るための絶好のスポットが、郡上八幡から和田町に抜ける堀越峠。晩秋から冬にかけての、よく晴れた日の早朝がチャンスと言うが、気象条件が揃(そろ)わないと、なかなか見ることはできない。    記者が泊まった民宿からも城山は、すぐ近くに望むことができる。「朝、お城の周りに霧が出ていると、娘と朝食をたべながら、きょう来たお客さんはラッキーだねって言っているんです」とおかみさん。    その郡上八幡城に登った。前の晩、郡上おどりを観た城址公園に着くと、「山内一豊と妻の像」が立っていた。実は初代土佐藩主、山内一豊の賢夫人として知られる千代は、最初に郡上八幡城を築いた遠藤盛数の娘であるという説が有力だ。    ここからさらに、つづら折りの坂道を上って天守に辿たどり着く。展望台から町を見下ろすと、宿のおかみさんが言った通り、町は確かに魚の形をしていた。尾の向こうに見えるのは、東海北陸自動車道だ。    天守閣前の庭に、人柱となった「およし」を祀まつる小さなお堂があった。急斜面の工事が困難なのをみて、神路村の百姓吉兵衛の美しい一人娘およしが、城を守ろうと身を捧(ささげ)て人柱になり、地中に入った。その時、およしは数え17歳だったという。この話は、宿のおかみさんが学校で習った話として教えてくれた。    天守の上り口には、「赤髭作兵衛の力石」もある。城の改修の際、ひときわ力持ちとして知られる作兵衛という人夫がいて、350㌔もの大石を一人で背負って運んで、奉行に褒められたが、作兵衛は褒められて感激のあまり、その場で卒倒し絶命したという。  これも山上の城ゆえの困難にまつわる話である。その山上の城ゆえの美しさが、いま人々を引きつけている。 (「昇龍道」取材班)

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