人と歴史

【連載企画⑪】平岡、水戸藩士の凶刃に倒れる、渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一の『雨夜譚』に次のように書いてあります。 『雨夜譚』は、栄一が疾風怒濤の青春を語る自伝です。 「…今日の徳川氏はこれを家屋にたとえていうと、土台も柱も腐り、屋根も2階も朽ちた大きな家の如きものである。

【連載企画⑩】気鋭の実力者 平岡円四郎 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一は、一橋家御用人の平岡円四郎と出会うことになります。 徳川家御三卿の一つである一橋家御当主の一橋慶喜は、水戸の出身。尊皇の念に厚い名君との評判で、そしてその御用人の平岡円四郎は慶喜の側近中、気鋭の実力者として知られていました。

【連載企画⑨】20歳の渋沢栄一 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

前回まで、岸宇吉と渋沢栄一について触れてきました。今回は、栄一本人が体験した出来事を振り返りながら、栄一が関わってきた人々について触れていきたいと思います。

【連載企画⑧】岸は『長岡の渋沢栄一』渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

長岡篇の最後に岸宇吉について、親交のあった明治の元勲、松方正義はどう観ていたのか、以下のように評価していました。 「事業上においては、極めて進歩主義の人で、常に中央において、専門家について研究をされ、世の風潮に遅れないように心掛けられたのである。従って、全てにわたって注意が行き届いていたことは、「あの銀行」の健全経営に発展したことでもよく分かるというものである。

【連載企画⑦】人と交わり愛情滴る人物 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一翁の追憶より。 「すべて岸君は何事によらず、自分の言は知己の言として聞いてくれたので、自分もまた彼とは胸襟を開いて交際したわけで ある。

【連載企画⑥】渋沢栄一が惚れた岸宇吉 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

明治43年に岸宇吉が死去し、その後、渋沢栄一は故人に対する感想を述べてほしいとの依頼を受けます。

【連載企画⑤】銀行経営の安定化を図る 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

岸宇吉についての人柄について以下、長岡大学准教授松本和明氏の解説に基づきます。

人気の記事