人と歴史

【連載企画⑧】岸は『長岡の渋沢栄一』渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

長岡篇の最後に岸宇吉について、親交のあった明治の元勲、松方正義はどう観ていたのか、以下のように評価していました。 「事業上においては、極めて進歩主義の人で、常に中央において、専門家について研究をされ、世の風潮に遅れないように心掛けられたのである。従って、全てにわたって注意が行き届いていたことは、「あの銀行」の健全経営に発展したことでもよく分かるというものである。

【連載企画⑦】人と交わり愛情滴る人物 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一翁の追憶より。 「すべて岸君は何事によらず、自分の言は知己の言として聞いてくれたので、自分もまた彼とは胸襟を開いて交際したわけで ある。

【連載企画⑥】渋沢栄一が惚れた岸宇吉 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

明治43年に岸宇吉が死去し、その後、渋沢栄一は故人に対する感想を述べてほしいとの依頼を受けます。

【連載企画⑤】銀行経営の安定化を図る 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

岸宇吉についての人柄について以下、長岡大学准教授松本和明氏の解説に基づきます。

【連載企画⑤】長岡に「ランプの会」設立 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

北越戊辰戦争後の1809(明治2)年に、越後長岡藩(現新潟県長岡市)の大参事となった岸宇吉という男(1839~1910)がいます。

【連載企画④】約500の会社を設立 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

「渋沢栄一」と聞いてもピンとこない人が少なくないかも知れません。渋沢についてもう少し詳しく述べてみます。 

【連載企画③】財なき財閥だった渋沢家 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一が息子たちに語った有名な言葉があります。 「儂がもし一身一家の富むことばかりを考えたら、三井や岩崎にも負けなかったろうよ。これは負け惜しみではないぞ」

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