人と歴史

ゴローニン事件を解決した商人ー江戸時代後期の廻船業者 高田屋 嘉兵衛

北海道の南の玄関口となっている函館。市内を見下ろす函館山の麓に高田屋嘉兵衛の像が立っている。像の近くにある説明文には次のような下りがあった。  

幽閉後も異国文化を伝承ーオランダ語通訳官 馬場 為八郎

秋田県南部、由利本荘市の岩城亀田の妙慶寺宝物殿で馬場為八郎の肖像画に出会った。馬場は優秀なオランダ語の通詞(通訳官)で外交交渉にも大きな役割を果たしたが、シーボルト事件で永牢(終身禁固刑)を言い渡され幽閉地の亀田で亡くなった。だが亀田では為八郎の元に数十人の若者が異国の話を聞くために通い、現在でも尊敬されている。

「曽根崎心中」が空前の大当たりー義太夫節浄瑠璃の元祖 竹本 義太夫

聖徳太子の創建と伝わる和宗総本山・四天王寺(大阪市天王寺区)の南へ下ること約200㍍、国道25号沿いに超願寺(浄土真宗本願寺派)がある。

西欧化する日本に警鐘ー作家 小泉 八雲

JR新大久保駅から徒歩15分。雑踏な商店街から一つ路地に入ると静かな住宅街が広がる。そんな住宅街の中に公園がある。近くに歴史案内板のようなものがあり、覗いてみるとラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が晩年住んだ邸宅があった所だという。

新島の夢を叶えた函館ー同志社創立者 新島 襄

今年は、新島襄が函館からベルリン号で米国に脱出して160周年に当たる。一年余りの航海を経て北米大陸のボストンに到着したのは、函館を出航した翌年1865年7月25日であった。

工業製品の品質向上に貢献ー第一次南極越冬隊長 西堀 栄三郎

滋賀県東近江市に「西堀榮三郎記念探検の殿堂」がある。1957年から58年にかけて第一次南極地域観測隊の越冬隊長を務めた西堀が、帰国後、祖父母と両親の出身地である湖東町(今の東近江市)の小学校で講演し、夢を持ち続けるよう生徒らを励ましたのに、当時の町長が感動したのがきっかけで建設されたという。

初めてロシアを見て来た日本人ー江戸中期の船頭 大黒屋 光太夫

江戸時代に船で遭難し、図らずも初めて帝政ロシアへ渡り帰国した日本人と言えば、大黒屋光太夫。

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