人と歴史

沖縄戦の特攻第1号ー特攻隊長 伊舎堂 用久

太平洋戦争が終盤に差し掛かった1945年3月、沖縄本島への上陸作戦を間近に控えた米軍は、先立って慶良間諸島への上陸を開始した。この時、石垣島の陸軍飛行場「白保基地」から、人知れず沖縄戦での特別攻撃隊第1号として飛び立った人物がいた。

近代短歌を確立ー歌人 石川 啄木

北の玄関口函館に津軽海峡を臨んだ大森海岸がある。およそ数㎞に続く砂浜でイカ漁の時期になれば遠くに漁火が見える名所である。

芸術と愛に生きた一生ー洋画家·紙絵作家 高村 智恵子

「いやなんです あなたのいってしまふのが― おまけにお嫁にゆくなんて よその男のこころのままになるなんて」(智恵子抄より 「人に」の一節) 高村光太郎が深く愛した妻・高村智恵子(旧姓長沼)は明治19年福島県二本松市の酒造家に生まれた。

近世・近代文芸の源流にもー江戸の天才奇人 平賀 源内

江戸時代中期の本草学者でエレキテルの修理・複製で知られる平賀源内の245回忌追善法要が昨年12月16日午後、生誕地・香川県さぬき市志度にある菩提寺の真言宗善通寺派自性院常楽寺で営まれた。

大阪経済の発展に尽くすー実業家 藤田 伝三郎

大阪市の中央を流れる淀川沿い、大阪造幣局の対岸の閑静な場所に藤田邸跡公園がある。ここは大阪商法会議所の初代会頭、五代友厚の後を継いで2代目会頭を務めた藤田伝三郎の邸宅があった所である。

札幌市白石区発展の立役者ー商店街誕生の功労者 長浜 万蔵

札幌市の副都心の一つとされる白石区。ここは明治初期、白石村といわれていた。白石村が札幌市編入されたのが昭和25(1950)年。当時の白石村の人口は2万人程度、明治の入植から80年ほどが経ったとはいえ白石はまだ、見渡す限り畑と牧草地であった。

海外油田を開発、人材育成もーアラビア石油社長 山下 太郎

戦後、サウジアラビア、クウェート両国から奇跡的に石油採掘の利権を獲得し、世界第一級のカフジ油田を掘り当てて「アラビア太郎、100万ドルの笑顔」と世界中に名前が知られた山下太郎。経済の血液である石油を自前で確保し、日本を世界のトップに押し上げる礎を築いた。

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