蔦重が見た江戸文化

≪7≫吉宗が開いた本草学や蘭学の扉

商業が発達するに伴い、米が中心の石高制に基づく幕藩体制は揺らぎ始める。貧富の差の拡大や凶作・飢饉による貧農の増加、年貢の限界による幕府の財政危機などで、これを改革したのが紀州徳川家から第8代将軍に就任した吉宗である。吉宗はキリスト教以外の漢訳洋書の輸入を緩和し、学者の青木昆陽や医者の野呂元丈にオランダ語を学ばせ、西洋の進んだ学問や文化を輸入しようとした。蘭学の始まりで、その時代を代表する一人が、大河ドラマにも登場した平賀源内である。

≪6≫文治政治で生まれた土壌 全国各地で産業が発達

昨秋訪れた神戸市の兵庫県立ミュージアムで企画展「イワシとニシンと兵庫津の商人—江戸時代、サカナは肥料だった—」が開かれていた。当時、日本近海で大量に取れたイワシやニシンは魚肥として珍重され、北前船などが寄港する兵庫津では九州、四国や北海道産の魚肥が盛んに売り買いされた。

≪5≫遊女たちの信仰世界

「べらぼう」の第1話で、火事になった吉原からお稲荷さんを助け出そうとする少女が描かれていた。彼女らにとっては、日ごろから拝んでいるお稲荷さんが、命よりも大切な存在だったのであろう。当時、「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が祀られていた。

≪4≫言葉遊びから文芸へ 狂歌に浮世絵を付け出版

万葉の時代から日本人は、自分の心の中を歌として言葉にすることで表現してきた。それが定型化されて五・七・五・七・七の和歌になり、次いで五・七・五の発句と七・七の脇句の、長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく連歌が生まれた。

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