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関鍛冶伝承館(関市)

 岐阜県関市は、刀匠の町である。室町時代には刀匠300人を数え、「折れず曲がらずよく切れる」関の刀はその名を全国に知られるようになる。それ以降、優れた実用性を誇る関の刀は、戦国時代、戦場の武士たちに愛用された。有名な「関の孫六」は二代目兼元のこと。  関市の刀鍛冶は、鎌倉時代に刀祖・元重がこの地に移り住んだことに始まる。刀作りが盛んになり名刀が生まれるようになった背景には、良質の焼刃土と炉に使う松炭、良質な水、そして長良川の水運があった。    日本刀作りの伝統を背景に近代に入って刃物産業が盛んになり、世界的な刃物メーカー、フェザーなども生まれる。市内には、、カミソリのテーマパーク「フェザーミュージアム」や「刃物会館」もある。    「関鍛冶伝承館」は、そんな関の刀鍛冶の伝統を知るには絶好の施設。1階には兼元・兼定をはじめとする古今の名刀が展示されている。記者が訪ねた時には、イヤホンガイドを聞きながら熱心に名刀の展示を観みる何人もの外国人の姿が見られた。日本刀に関する基礎知識、刀作りのさまざまな工程などが分かりやすく展示されている。  隣の工房で日本刀の鍛錬の実演が行われると言うので見に行く。実はこれが目当てだったのだが。    白い装束に身を包んだ刀匠が現れ、炉に火が入れられていよいよ 刀鍛冶の実演が始まった。指導役の横座と大槌(おおづち)を打つ先手に分かれて、相槌を打ちながら、真っ赤に熱せられた鋼を打つと火花が散る。それを何度も繰り返す。「折り返し鍛錬」という、強い鋼を作るための最も基礎的な作業である。  それが終わって、刀匠の吉田研さんが、刀作りについて説明をしてくれた。「使う炭は備長炭がいいと思われるかもしれませんが、備長炭は火が回るのに時間がかかり炉の温度を下げてしまうので、松炭を使います」 「日本語には、『焼きを入れる』『とんちんかん』と言う言葉がありますが、『とんちんかん』は、槌を下ろし損ねて変な音が出たことからきています。それくらい刀鍛冶に由来する日本語は多いんです」  なるほど、日本語の中に刀鍛冶に由来する言葉が、こんなに根付いているとは知らなかった。強さと柔軟さと美しさを持つ日本刀、そして刀鍛冶に日本文化の精髄が生きていると実感した。     関鍛冶伝承館での鍛錬の実演は毎月第1日曜の午前10時半からと午後1時半から2回行われる。

冷やし焼き野菜そうめん

【材料】 <2人分 調理時間:20分>*漬け時間除く ・そうめん・・・・・・・・・・2束 ・ズッキーニ・・・・・・・1/ 2本 ・茄子・・・・・・・・・・1/ 2本 ・かぼちゃ・・・・・・・・80g ・パプリカ赤 黄・・・・・・各80g ・細葱・・・・・・・・・・適量 ・ニンニクチップ・・・・・5~6枚

焼肉ちらし寿司

【下準備】 ミニトマトは半分に切り、パプリカはスライスにします。 【作り方】 ①炊きたてのご飯茶碗3杯分に、表記してある分量のすし酢をまんべんなくまわしかけ、しゃもじでご飯を切るように混まぜます。 ②熱したフライパンにごま油と牛細切れを入れて中火で炒めます。火が通ったら、焼き肉のタレをまわしかけてよくからめます。

篝火の下の幻想ドラマ

木曽川水系の清流、長良川は鵜飼いで有名だ。その「清流長良川の鮎」は平成27年、農業水産技術での指定では全国で初めて世界農業遺産に登録されている。鵜飼いで獲とれた鮎はすぐ鵜が活いけ締めにするので、美味しさはかの北大路魯山人も太鼓判を押している。 長良川の鵜飼いは岐阜市と関市の2カ所で行われている。少し上流にある関市へはJR美濃太田駅から第三セクターの長良川鉄道に乗り換えてゆく。鵜飼い見物の屋形船の出る小瀬の川岸に着くと、鵜匠が鵜を入れた駕籠を担いでやって来て、鵜舟は一足先に上流へ向かった。 午後7時ごろ屋形船も上流へ漕こぎ出す。清流に浮かび、対岸の森の鳥の鳴き声を聞いたり、夕食の弁当をつかったりしながら暗くなるのを待つのである。 鵜飼いは全国12カ所で行われているが、岐阜の長良鵜匠6人と小瀬の3鵜匠は、宮内庁式部職に任命されている。その一人、足立陽一郎鵜匠が鵜飼いについて説明をしてくれた。 「腰こしみの蓑は、鵜に魚を吐かせるときなどに掛かる水しぶきで体が冷 えないようにするために着けています」 「鵜の首を縛るものを首結いといいますが、指1本が通るほどの間隔を開けて結びます。大きな魚は通さず小さな魚はそのまま喉を通って鵜が食べることができるようにしています」 そうするうちに、日はとっぷりと暮れた。上流から篝火を舳先に掲げた鵜舟がゆっくりと下って来た。いよいよ鵜飼いの始まりだ。 篝火と鵜舟の舳先、そして鵜匠と手縄の先にいる鵜だけが闇の中に浮かび上がる。鵜匠は鵜の動きを真剣に見詰め、手縄を捌さばいている。鵜たちは懸命に魚を追っている。闇の一画で幻想的なドラマが演じられている。 そのドラマに心を奪われているうちに、船は、船着き場あたりに戻っていた。足立鵜匠が「シーズンが始まったばかりということで鮎はまだ小さい」とこの日の漁の結果を説明したが、「河かこうぜき口堰ができてから魚が少なくなった」という言葉には、悔しさもにじんでいるようだった。 小瀬鵜飼予約=関遊船:&0575(22)2506 HP・URL= http:www.ozeukai.net (「昇龍道」取材班)

反日反米運動に抵抗

「沖縄県が日本になって本当に良かった。当時反対した人も、今ではほとんどが喜んでいる」こう振り返る上原義雄さん(82)は、教員の立場で祖国復帰運動を推進した数少ない人物だ。琉球大学工学部を卒業後、気象台への就職を断り教員の道に進んだ。

親を失った10代の胸中描く

交通事故、ガス爆発事故、自殺、通り魔殺人とそれぞれの理由で親を失った13歳の4人の少年少女、ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコは火葬場で偶然、出会った。「悲しいけど、涙は出ない」そんな子供たちの複雑な心情や大人への感情、心のひだを描いた映画「ウィーアーリトルゾンビーズ」が、現在公開中。

二つの「じりつ」父の遺訓

空手家としてその道を極め戦後、極真カラテを世界に広めた大山倍達氏が亡くなって25年が経った。その次女である大山恵喜さんは現在、アーティストだ。恵喜さんは「父は極真カラテを作り上げたが、私は組織とは無関係だし、父の遺産相続も放棄した」と極真カラテとは一線を引く。

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