サンデー編集部

世界より国体でタイトルを

 茨城県で開催された、いきいき茨城ゆめ国体で史上初めてeスポーツが文化事業という形で行われた。「今年は絶対に国体で勝ちたかった」。こう話すのは、山中智瑛さん(26、写真左)だ。山中さんは、レーシングゲーム「グランツーリスモSPORT」に、4歳からの友人でもある高橋拓也さん(25、同右)と共に栃木県代表として出場した。

焦がしチーズの野菜チヂミ

【材料】 <3~4人分、調理時間:20分> ニラ・・・・・・・・・・1 束 万能葱・・・・・・・1 / 2 束 人参・・・・・・・・1 / 2 本 モッツァレラチーズ・・・100g ごま油・・・・・・・・大さじ2 <生地> 小麦粉・・・・・・・・・160g

大腸がんで死なないために

~陥没・平坦型は内視鏡検査を~  大腸がんとは大腸(結腸、直腸、肛門)に発生するがんで、正常な粘膜から発生するものと線種という良性のポリープががん化するものがあります。近年増加傾向にあり、罹り患かん率は男性は胃がん、肺がんに次いで3番目、女性は乳がんに次いで2番目です。男女総合では最も罹患率が高いがんですが、早期に発見することで完治が可能ながんです。 (看護師・岡本澄美子)

白川郷 黄金色とのコントラストが絶妙

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《24》  合掌造りの里・白川郷(岐阜県白川村荻町)は評判通り、内外の観光客であふれていた。庄川河川敷の村営せせらぎ公園駐車場と対岸の合掌集落を結ぶコンクリート製のつり橋「であい橋」は、中部国際空港から直行の観光バスが到着するたびに、台湾や中国など中華圏からの観光客が降り立ち、立ち往生することもしばしば。3日間の「昇龍道フリーバスきっぷ」で飛騨高山と白川郷を巡り、最終日には金沢や富山に向かう。    観光地特有の喧噪を離れて、集落を見下ろす荻町城跡の展望台を目指した。村内からシャトルバスが20分ごとに出ており、10分ほどで着く。片道200円。そこに上がると、眼下に合掌造りの民家が箱庭のように広がっている。    記者が訪れたのは9月20日で、この時はまだ稲刈り前の田も残り、合掌造りと黄金色のコントラストが絶妙だった。日本人スタッフが流暢な中国語で、手際よく撮影ポイントをガイドしている。帰りは風景を愛でながら、急な坂道を徒歩で降りて白川郷で最も大きい和田家(国重文)を目指した。    この荻町集落には100軒を超える合掌造りの家屋が立ち並び、いずれも住民の生活空間でもあることから、私有地への立ち入りを禁止する貼り紙が目立つ。民宿の軒下には真新しい薪が高く積み上げられ、縁側には客用の布団が天日干しされ、冬支度が始まっていた。村落は欧米の熟年カップルやリュックを背負った海外の若者グループも散策し、国際色豊かだ。    和田家は築300年ほどで、藩政期は名主や番所役人を務めた。養蚕を生 業とし、黒色火薬も製造していたという。五箇山(富山県)の合掌集落とともに、加賀藩前田家お抱えで、煙硝が密造されていた。「加賀の塩硝は日本一良質」との評判で、貴重な収入源でもあった。幕府の目を逃れ、人里離れてたどり着くのも厳しい村は、密造にはうってつけだった。  同家は現在も住居として使われており、1階の一部と2階部分が公開されている。1階には居間、寝室、客室、仏間など8部屋あり、仏壇には「如来恩講」の文字が見える。この地域は代々真宗の信仰が受け継がれてきた。居間の中央には囲炉裏があり、年中炭火を絶やさないという。その上には、熱を拡散させて部屋を暖める火棚がぶら下がり、そのまま屋根裏も暖める仕組みだ。    屋根裏には居間の隣に設けられた急な階段を上がる。そこには合掌造りの屋台骨がむき出しで、構造がよく分る。又首(さす)と呼ばれる2本の丸太を棟で交差させ、梁両端に差し込んでいる。どれも黒光りして艶があり、ここで営まれてきた暮らしの重みを伝えている。 (「昇龍道」取材班)

醤油麹の筑前煮

【下準備】  鶏もも肉は3cm の角切り。ごぼうは乱切りにして流水し、アクを抜き ます。レンコン、人参は皮を剥き、一口サイズの乱切り。こんにゃくは一 口サイズにちぎり、茹でてザルにあげます。椎茸は4等分にスライス。さ やいんげんは軸を落とし、サッと塩ゆでして水に取り、粗熱をとります。 【材料】<4人分 調理時間:30分> 鶏もも肉・・・・・・・・・1枚 ごぼう・・・・・・・1 / 3 本

飛騨高山(下)

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《23》 街角にも匠の技の伝統  高山(岐阜県)を訪ねるなら、日本三大美祭の一つ、春か秋の高山祭の時がいい。しかし実際は、なかなかそうもいかない。そういう人のためではないけれど、櫻山八幡宮の境内にある高山祭屋台会館に足を運べば常時、屋台が展示してある。    その屋台会館を目指して宮川沿いの道を行くと、ちょうど朝市をやっていた。小ナスなどさまざまな土地のものが売られているが、山国だけあって、珍しい山菜や漬物などバラエティーに富んでいる。    高山祭の屋台は、その豪華絢爛さから、「動く陽明門」と称される。春には12台、秋には11台が引き揃えられるが、屋台会館には、4台展示されている。確かに豪華なものだが、それだけにやはり祭りの賑わいの中で、この屋台が動いているのを見たいと思う。     高山祭の見どころの一つにからくり人形がある。屋台会館のすぐ近くに、「飛騨高山獅子会館からくりミュージアム」があり、屋台からくりや座敷からくりの実演を見ることができる。入場者が集まってきたところで、実演が始まった。  最初は、「恵比寿文字書き」。やおら動きだした恵比寿様が筆を持って、紙に「福」という字を書き上げた。縁起のいい字を選んで墨書された書はお客さんにプレゼントされる。次に「茶運び人形」「大黒様の獅子舞」「角兵衛獅子」「牛若丸と弁慶」のからくり人形のパフォーマンスが続いた。    からくり人形の動きや原理は素朴なものだが、人々を驚かせ喜ばせたいという匠の心は、ロボット時代を迎えた今も、モノづくりの原点にあるように思われた。同ミュージアムでは、重要有形民俗文化財の獅子頭など300点も展 示している。  豪華な屋台やからくり技術の背景には、「飛騨の匠」と呼ばれた技術集団の伝統がある。山国で木の豊富な飛騨では、木工が発達し、奈良時代には、古来の高い建築技術を都の造営に活用するため、朝廷から木工職人の派遣を義務付けられた。その高い技術集団は「飛騨の匠」と呼ばれ、飛騨国はその見返りとして庸・調の税を免ぜられた。    そんな飛騨の匠のことを思いながら、町を歩いていると、普通の民家でも軒の垂木などに工夫が見られ、こんな所にも匠の伝統が生きているのかと感心させられる。  そのうち街中の小さな公園に来ると、翼を拡げた鶴に乗り木槌と鑿(のみ)を手にした人物の像があった。下の台座に「飛騨匠 韓志和(木鶴大明神)」とあり、彫刻の名手で、平安時代初期に、自作の木鶴に乗り唐土(中国)へ渡り皇帝に入神の妙技を見せたといわれる伝説上の人物と説明が書かれていた。伝説とはいえ、飛騨と大陸の繋つながりを暗示しているように思われた。 (「昇龍道」取材班)

3世代で挑む無農薬栽培

 沖縄本島南部の豊見城市で、3世代で無農薬マンゴーを育てている家族がいる。大黒柱の田場盛一さん(89)(写真・手前左から2人目)は両親を先の大戦で亡くした。戦時中は兵庫県の軍需工場で働き、命を長らえた。「どんなに貧しくとも畑があったからできたこと」と両親への感謝を忘れない。

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