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情操と教養を育てた禅宗

静岡市清水区興津にある臨済宗妙心寺派の清見寺(せいけんじ)に、竹千代時代の家康が太原雪斎(たいげんせっさい)禅師らから学んだ3畳間があります。禅僧ながら今川家の家臣で、今川義元の軍師として内政・外交・軍事に敏腕を発揮し、今川家の全盛期を築き上げた人です。人質ながら義元の後継者の一人として育てられた竹千代は、当時、最高の教育を受け、そこで培った情操と教養、つまり人間力が家康の人生を支えました。

神となって日光から江戸を守る

 東京から北東に約2時間の日光は、日本を代表する観光地として外国人にも人気の世界遺産です。その中心にある日光東照宮は、死後、東照大権現という神になった徳川家康を祭る神社で、家康のお墓は東照宮の本殿の裏にある奥宮にあります。

朝廷と幕府、権威と権力の抗争史

 承久の乱に敗れた朝廷側では、首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ、順徳上皇は佐渡島に配流され、土御門上皇は討幕計画に反対していながら、自ら望んで土佐国へ流されました。後鳥羽上皇の2人の皇子も但馬国と備前国へ配流され、後鳥羽の同母兄の子が即位し、後堀河天皇となります。上皇方の公家たちは一掃され、内大臣になったのは親幕派の西園寺公経で、以後、朝廷は幕府の意向に沿って運営されるようになります。

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