青年期から社会福祉に意欲

実業家の福祉活動というと、経営の一線を退いてから、私財を投じて行うことが多いのですが、渋沢栄一は第一国立銀行を設立した直後の明治7年から、多忙な仕事と並行して福祉に関わりました。そのきっかけは同年、大久保一翁東京府知事の要請で東京会議所(後の商工会議所)会頭に就任したことです。明治3年、ロシア皇太子の来日に際し、市内のホームレスは恥さらしだと収容所を設けて収容されました。それが会議所の管轄になって東京養育院と命名され、会頭が院長を兼ねることになっていたのです。栄一はその運営を「一身上からは不利であるが、社会のためと思い進んでお引き受け」しました。

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