人と歴史

【連載企画⑯】「海援隊」と「商法会所」渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一と将軍の座を降りた徳川慶喜との静岡での交流はしばらく続きました。かつてのような主君と家臣(陪臣)という関係ではなく、栄一は、経済人として慶喜が住む静岡の地を豊かにしようとしていました。

【連載企画⑮】最後の将軍、徳川慶喜 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

明治元(1868)年12月下旬、渋沢栄一は徳川慶喜に会うために静岡に向かいました。言うまでもなく、慶喜は謹慎中です。

【連載企画⑭】相次ぐ肉親の死と不幸 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一は、フランス・パリへ向かう徳川昭武に随行し、最先端の欧州の空気を吸い取り紙のように吸収していました。

【連載企画⑬】武士は食わねど高楊枝 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一の欧州渡航では、途中で下船し、その町並みなどを見て回っています。 今回は、その時、渋沢が抱いたものは何だったのかを考えたいと思います。

【連載企画⑫】スエズ運河はまだ掘削中 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

平岡円四郎が、水戸藩士らの襲撃で亡くなってから3年ほど経ち渋沢栄一らは、ヨーロッパへと向かう船上の人となっていました。

【連載企画⑪】平岡、水戸藩士の凶刃に倒れる、渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一の『雨夜譚』に次のように書いてあります。 『雨夜譚』は、栄一が疾風怒濤の青春を語る自伝です。 「…今日の徳川氏はこれを家屋にたとえていうと、土台も柱も腐り、屋根も2階も朽ちた大きな家の如きものである。

【連載企画⑩】気鋭の実力者 平岡円四郎 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一は、一橋家御用人の平岡円四郎と出会うことになります。 徳川家御三卿の一つである一橋家御当主の一橋慶喜は、水戸の出身。尊皇の念に厚い名君との評判で、そしてその御用人の平岡円四郎は慶喜の側近中、気鋭の実力者として知られていました。

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