「栄冠は君に輝く」誕生秘話ー文芸家 加賀 大介

夏の高校野球、甲子園球場に流れる大会歌の「栄冠は君に輝く」は、球児たちを奮い立たせ、ファンの胸も熱くする。作曲は3年前のNHK朝ドラ「エール」の主人公・古関裕而、作詞は文芸家の加賀大介(1914~73)だ。歌詞は一途に白球を追い掛ける若人の姿が生き生きと表現され、自身が球児だった作詞者の想いを伝えている。

古関裕而は、周知の通り、早稲田大学の「紺碧の空」や慶応義塾大学の「我ぞ覇者」、さらに東京オリンピックの入場行進曲などを手掛け、躍動感あふれる曲が持ち味だ。その半面、「君の名は」「長崎の鐘」などの流行歌でも広く親しまれてきた。

一方、作詞した加賀大介は、ほとんど知られていない。大会歌は「全国高等学校野球大会の歌」という題名で発表された。全国5252篇の応募の中から加賀の詩が選ばれたが、事情があって別人の名前で応募したため、当初、彼の名前が広まることはなかった。

加賀(本名・中村義雄)は石川県出身の文芸家で、自身も甲子園を目指す野球少年だった。大会歌は昭和23年、学制が旧制中学から新制高校に切り替えられたのを機に、朝日新聞が募集した。加賀は当時の婚約者(後の妻)の名前を借りて応募し、最優秀作品に選ばれたのだった。それが「夏の甲子園」で、今日まで歌い継がれている。

加賀は大正3年、石川県能美郡根上町(現・能美市)で生まれた。元大リーガーの松井秀喜さんと同郷で、小学校の先輩に当たる。幼い頃から野球に夢中になり、元気な少年時代を過ごした。ところが、16歳の時に思わぬ不幸が襲った。練習中、右足親指の爪をはがした。そこが悪化して骨髄炎になり、不運にも膝下を切断する大手術となり、右足を失った。

故郷の石川県能美市に立つ歌碑
故郷の石川県能美市に立つ歌碑

松葉杖の生活で甲子園への夢を絶たれた加賀は、以前から抱いていた文芸の道に進む。地元で短歌や演劇の会を主宰し、脚本を書くなど、自宅で療養しながら詩作に励んでいた。そんな矢先、一片の新聞記事が婚約者の高橋道子から届いた。それが「大会歌」募集の記事だった。

大会歌誕生の秘話をつづった『ああ栄冠は君に輝く』(手束仁著、双葉社)によると、便りを受け取った夜、「寝床で歌の構想を練る大介の脳裏に、白球を追った少年時代の風景がよみがえった。そして、深い眠りに入る一歩手前で、『ああ、栄冠は君に輝く』というフレーズが浮かび上がった」という。白球を追い掛けた自らの少年時代の想い出、そして断念せざるを得なかった甲子園への憧れが走馬灯のように流れ、大会歌を生んだ。

婚約者の名を借りたのは、当時、加賀はすでにプロの文筆家だったため、懸賞金目当てと思われるのを嫌ったからだという。昭和43年まで「作詞中村道子・作曲古関裕而」で表記されていたが、第50回大会を機に本人が真相を公表して「作詞加賀大介」と改められた。

道子さんによると、加賀は「甲子園に行きたい」を口癖にしていたが、ついに一度も足を運ぶことなく同48年、6月21日、58歳で生涯を閉じた。平成元年には、地元の根上野球場にひっそりと歌碑が建立された。

(日下一彦)

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