カルチャー

鎌倉を臨済禅の町にした北条氏

 鎌倉の中心として源頼朝が創建したのは源氏の氏神・鶴岡八幡宮ですが、歩いてみると鎌倉は禅宗、それも臨済宗の町であることがよく分かります。中でも格式の高い禅寺が五山と呼ばれ、大本山建長寺は鎌倉五山の第一位。建長5年(1253)に鎌倉幕府第5代執権北条時頼が、開山(初代住職)に南宋の禅僧蘭渓道隆を迎えて創建しました。

武士の倫理綱領を制定

 ついに源頼朝が亡くなりました。暗殺説もある中、三谷幸喜さんがどう表現するのか興味津々でしたが、馬上での意識喪失による落馬となっていました。単なる落馬では武士の恥ですから、突発的な意識喪失だと、衣の肩口に付いた泥から冷静に推察したのが北条義時の息子・泰時であるのも、次の展開の伏線となります。

源氏の氏神になった八幡神

 初めての武士の都を鎌倉に造った源頼朝は、その中心に鶴岡八幡宮を建てます。同宮は、河内源氏2代目の源頼義が、東北での「前九年の役」の戦勝を祈願し、京都の石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡(由比ヶ浜)に鶴岡若宮として勧請(神霊を招くこと)したのが始まりです。

頼朝が造った武士の都・鎌倉

 鎌市の鶴岡八幡宮に開設された「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」(来年1月9日まで)を見て4月初め、源頼朝が開いた武士の都・鎌倉のまち歩きをしました。 太平洋に面する鎌倉は三方を山に囲まれた防衛上に有利な場所で、源氏ゆかりの当地を拠点にしたのも、頼朝の軍事感覚です。平地に開かれた相模や武蔵の国の国府があった場所に比べると、はるかに守りやすいのですから。

真珠院の八重姫供養堂

 願成就院の先にあるのが、悲劇の女性、伊東祐親の娘・八重姫を祀まつる真珠院の八重姫御堂です。 真珠院という名は、八重と侍女たちが身を投げた松川の真珠ヶ淵から取られたそうです。伊豆で流人暮らしを続ける源頼朝と恋に落ち、男児をもうけますが、平家の怒りを恐れた父の命で松川に沈められ、それを知った八重も入水し、無念の死を遂げたとされています。

北条家の氏寺 願成就院へ

 大河ドラマで歌舞伎俳優の坂東彌十郎さんが演じる北条時政が人気になっています。時政は謎の多い人物というか、史料があまり残されていないので、脚本家の三谷幸喜さんが自由に想像を膨らませている面もあります。

韮山駅から「政子コース」を歩く

 伊豆箱根鉄道の韮山駅から歩いて行けるもう一つの道が「政子コース」。政子は北条時政の長女、周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻になったことで歴史の表舞台に躍り出ます。頼朝の死後も「尼御台」として活躍し、征夷大将軍を継いだ嫡男の頼家、次男の実朝が相次いで暗殺されると、京から招いた幼い藤原頼経の後見役として幕政の実権を握り、尼将軍と称されるようになりました。

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