カルチャー

海から湧き出る90度の源泉

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《34》 「昇龍道」の龍の頭に当たる能登半島最大の出湯・和倉温泉は、七尾湾に沿って加賀屋や多田屋など、老舗の有名旅館が軒を並べている。年間を通して波が穏やかで、対岸には能登島が浮かび、風光明媚なところだ。ここの温泉の特徴は、海底から90度の源泉が湧き出していることで、試しに舐めてみると、とても塩辛い。これが美肌に効果的とされ、女性客に人気が高い。開湯以来1200年の歴史があり、シラサギ伝説を伴っている。平安時代、傷ついた2羽のシラサギが沖合で羽を休める姿を見た漁師が不思議に思い、近づいて温泉を発見したという。  街の中心にある共同浴場の総湯に入った。ガイドブックには明治32(1899)年から続いていると書かれているので、さぞかしひなびた温泉場かと思いきや、外観も浴室もとてもきれいだ。それに天井が高くて広々としており、開放感たっぷり。8年前にリニューアルし、今は7代目とのこと。  入浴料440円を払って入ると、説明書きがあった。90度の高温で湧き出す温泉を熱交換器を使って、加水することなく利用しているという。さらに濾過器を使っているが、毎日閉館時に浴槽のお湯は全て入れ替えているとある。こんな能書きを見ると、ありがたい気持ちになり、透き通ったお湯がさらに気持ち良く感じてしまう。露天風呂や立湯、サウナも備え、無料の休憩室もある。近隣のホテルの宿泊客も利用するというから、それもうなずける。玄関前には足湯もあり、休日には魚介類や農産品の朝市も立ち、午前中は盛況だ。  湯船に浸って心身ともリフレッシュして、温泉街の名所を巡った。総湯から徒歩5分ほどに弁天崎源泉公園がある。ちょうど加賀屋の前だ。ここには豊かな湯量を使った仕掛けが幾つかあって楽しい。まず足湯ならぬ「手湯」。屋根の下に円形の形の石が置いてある。最初は噴水かと思ったが、指を入れると温かい。「手首から先を浸せ」とあるので、その通りやってみると、じわじわと体が温まってきた。「あったかベンチ」も見逃せない。畳2枚ほどの木のベンチで、座るとほんのりと温かさが伝わってくる。ここで読書すると、そのまま眠ってしまいそうだ。足湯・手湯・ベンチとも無料で利用できる。    温泉卵もできる。公園に隣接するロータリー広場には「湧浦乃(わくうらの)湯壺」があり、開湯伝承のシラサギのブロンズ像と記念碑が立っている。2羽の間の湯壺に源泉が流れ落ちる。近くの店で卵を買ってネットに入れてもらい、15分ほどここに浸しておくと温泉卵になっていた。ほんのりと塩味が利き、美味だった。  和倉温泉は古くから輪島や珠洲など奥能登各地に向かう拠点として賑わい、輪島まで車で1時間、珠洲まで1時間20分ほどだ。 (「昇龍道」取材班)

洗練されたお茶屋文化伝える(金沢市)

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《33》 ひがし茶屋街  金沢を訪れる国内外の観光客に、兼六園と共に人気が高いのが「ひがし茶屋街」だ。藩政時代から続くお茶屋文化を現代に伝えている。金沢駅からバスで15分ほど、兼六園からだと徒歩で20分の距離にある。弁柄(べんがら)の出格子が美しく、石畳が続く街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区で、休日には人波が絶えない。    お茶屋文化を知ろうと「お茶屋美術館」(市指定文化財)に入った。メイン通りから1本入った裏通りにある。屋号「中や」のロゴの入った暖簾(のれん)をくぐり、受付で入館料500円を払う。昼間だというのに中は薄暗く、艶やかで独特の雰囲気を伝えている。    1階のガラス張りのケースには、芸妓(げいぎ)が髪に挿したかんざしやくし、結髪用のこうがいなどが展示されている。金銀やサンゴで細工され、一見して値の張る品々と分かる。狭くて急な階段を上がると、10畳の広間、5畳の離れなどがそのまま保存されている。お茶屋は遊芸のための場なので、押し入れや間仕切り壁などはない。    ここの「離れ」は必見だ。目の覚めるような鮮やかな群青色の壁で、他の地域では見られない金沢独特の壁という。北陸新幹線のグリーン車にもこの群青色が取り入れられている。一説では、金沢人がこんな派手な色を好むのは、雪が多くどんよりとした日が多いので、せめて内部を華やかにしたいとの表れという。1階に降りて中庭をのぞくと、水琴窟(すいきんくつ)が金属音を奏で、見上げると紅葉が枝に数枚残っていた。    この茶屋街は文政3(1820)年、加賀藩が近辺に点在していたお茶屋をこの一画に集めて町割りしたもので、それがそのまま現在に残っている。メイン通りに出て、「志摩」(国指定重要文化財)に入った。当時から続く唯一のお茶屋で、間口3間(約5・4㍍)、奥行き10間(約18㍍)と細長い。    中に入って驚いた。台所の脇に井戸があり、その手前には石室(いしむろ)がしつらえてある。説明書きには食物を保存した貯蔵庫とある。金沢では夏に氷室開きがあり、冬に積もった雪を氷室に保存して奉納する神事があるが、お茶屋だけにそれが行われていたのかと聞くと、単に食べ物を保存しただけとのことだった。    お茶屋は客の求めに応じて、仕出し屋から料理を取り、芸妓を呼び、遊宴を支える。そのため部屋や衣装、髪飾りは最高のものをそろえて客をもてなすのが仕来りになっている。いわば「貸し屋敷」のような役割だった。    「志摩」代表の島謙司さんによれば、「お茶屋はおもてなしの心を尽くして客をもてなします。客も同じく、もてなしの心に応えます」と話し、その上で「一見さんお断り」の理由について、「もてなす客が芸やしつらえの価値を理解できるかどうかが大切で、客がそれに応じられないと成り立たない世界なのです」と説明していた。支払いもツケで後日払いは「信頼関係が必須です」とも(市内で開かれた講演より)。こうした両者の絆の上で、お茶屋文化が受け継がれてきた。 (「昇龍道」取材班)

人気の「時雨亭」で味わう抹茶

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《32》 兼六園  金沢市の兼六園(国特別名勝)で、外国人の入園者数が昨年、初めて40万人を超えた。その勢いは今年も続いている。園内を散策すると、中国人やベトナム人らしい一行をよく見掛ける。同様に欧米のカップルや家族連れも散策を楽しんでいる。    霞ヶ池に架かる撮影スポットの徽軫(ことじ)灯籠前の石橋は人が多くてなかなか進まないこともしばしばだ。来園者は銘木の松に施された名物の雪吊りを背景に、撮影に余念がない。    外国人旅行者向けの口コミサイト「トリップアドバイザー2019」では、兼六園が姫路城や金閣寺に続き、人気スポットの11位にランクされている。寄せられたコメントには「松ってこんなにきれいなんだと初めて知りました」「日本的な庭園で庭師が丁寧に手入れしているので、とてもきれいです」など、来園者の心を魅了していることが分かる。    その兼六園で、人気を集めるスポットに「時雨亭」がある。園内3カ所ある茶室の一つで、真弓坂口から入って緩やかな坂を上り5分ほどだ。木造平屋建てでこけら葺きの屋根は、周囲の木立に溶け込んで情緒がある。加賀藩5代藩主・前田綱紀(まえだつなのり)が兼六園を作庭した頃からあった別荘で、主に茶の湯に利用されていたとの記録が残る。平成12年(2000年)に復元された。    一服の風情を味わおうと、玄関を入り、「おしながき」にある上生菓子付きの抹茶セットを注文した。受付で730円を払って畳敷きの座敷に入り、設けられた茶席に正座した。ちなみに和菓子付きの煎茶だと310円になっている。記者が訪れたのは休日の午前中で、総勢20人が席に着いた。    和服姿の女性が出て、時雨亭の歴史や建物の特長、見るべきポイントなどを教えてくれた。それが終わると、「冬ごもり」が運ばれてきた。時雨亭オリジナルの銘菓で、枯れ葉色を模した練餡(ねりあん)は控えめな甘さで味わい深い。隣席の熟年夫婦から「上品な味ね」とのささやきが聞こえた。  茶碗(ちゃわん)は地元の大樋焼と九谷焼で、記者には釉薬(ゆうやく)のかかった素朴な大樋焼の碗が持ち込まれた。ここでは作法に囚(とら)われることなく、各自自由に味わう。口に含むと苦味が強かったが、生菓子とよく合っていた。    お茶をいただいた後、座敷から土縁に出てこぢんまりとした庭を鑑賞した。長谷池のそばのドウダンツツジが真っ赤に紅葉し、ひときわ鮮やかだ。庭石の上に珍しいものが置かれていた。子供の頭ほどの石で、細縄が十文字にかけてある。茶室に欠かせない「関守石」だ。そこから先には入れないことを表している。伝統文化の深遠さに触れたように感じた。玄関を出ると、次席を待ってもう十数人が並んでいた。 (「昇龍道」取材班)

建築楽しみ思索する欧米人

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《31》 鈴木大拙館(金沢市)  金沢を訪れる欧米の観光客の間で、鈴木大拙館(金沢市本多町)が大きな関心を集めている。鈴木大拙(1870~1966)は金沢出身の仏教哲学者で、英文で仏教や禅についての論文を多数発表し啓蒙に努めた。生家近くに立つ館は、大拙の考えや足跡を国内外の人たちに伝え、理解を深めてもらうとともに、来館者自らが思索を体験することを目的としている。金沢とゆかりの深い建築士の谷口吉生氏(日本芸術院会員)が手掛け、8年前に開設した。    兼六園から徒歩10分ほどの住宅街にあり、そこから続く「本多の森」を借景にした端正な施設だ。開館以来、欧米の来館者は年々増加し、今年は2万人を超える勢いという。これは来館者全体の約3分の1に当たる。ここ数年、イスラム圏からの訪問も目立っている。    欧米人が多く足を運ぶ理由について、副館長の宮田敏之さんは世界的な旅行ガイドブックの「ロンリープラネット」や「トリップアドバイザー」に紹介されたことを挙げ、「両誌とも大拙館が日本のミュージアムの中で上位に位置付けられ、高い評価を得ています。大拙自身の魅力と斬新な建築にあるのでしょう」とのことだ。    施設は「展示空間」「学習空間」「思索空間」から成り、エントランスから内部回廊を進む。コンクリートむき出しの細長い廊下で、途中「玄関の庭」を通る。そこには樹齢200年を超えるクスノキが見事な枝を広げている。その先が「展示空間」になっていて、現在、企画展「大拙つれづれ草」が開催中だ(20年1月19日まで)。    ここで驚くのは、展示されている書や写真には解説がない。「大拙の思想に従い、先入観なく、触れて・見て・あるがままを感じてもらうための趣向」とのことだ。その代わり丁寧なリーフレットが準備されている。これは分かりやすく必見だ。    続いて「学習空間」に入った。枯山水を模した「露地の庭」に臨み、本棚には大拙の著書と関連図書などが並んでいる。机と椅子も備えられ、気になった本はじっくりと閲覧できる。庭には大拙が好んだ「〇△」思想に基づく「つくばい」が置いてある。  外部回廊に出ると視界が一変する。深さ14センチの水を張った「水鏡の庭」が広がり、その向こうに四角い白い建造物が待ち構える。ここが「思索空間」だ。広さ約90平方メートルあり、内部は天井と床、壁だけのシンプルな作りだ。高さ約8メートルの天井には丸形の天窓があり、そこから自然光が差し込んでくる。四方の開口部から見える水面や城の石垣に見立てた外壁は、切り取った一幅の風景画のようにさえ見えてくる。     中央には畳でできた椅子が置いてあり、そこで座禅を組んだり、空いていれば靴を脱いで横にもなれる。「水鏡の庭」は3分間に1度、波紋を生み出す仕掛けで、水面を眺めながら水音に耳を澄ますと、わずかでも大拙の思想と自己を対峙できそうに感じてくる。入館料は300円。 (「昇龍道」取材班)

世界に3ヵ所、安山岩の柱の造形

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《30》 東尋坊(福井県)  断崖絶壁が続く福井県坂井市の奇勝地・東尋坊(とうじんぼう)を、海上と絶壁の上から見渡した。11月の日本海は夏に比べて、凪(なぎ)の日がグッと減る。遊覧船の機関士曰わく。「月に7日あるかどうかでしょう」。記者が乗船した日は晴天だったが、波浪1メートルで船が大きく傾くことしばしばだった。    東尋坊の乗り場は、切り立った断崖の狭い入り江の中にあり、波が高いと危険なので事故防止のため、2㎞ど離れた三国サンセットビーチから出航する。この日も残念ながらそこから出た。舫綱(もやい)を解いて「さぁ!出航」。男性添乗員が進行方向に広がる景観を、慣れた口調で解説していく。    途中、「気分が悪くなったらお知らせください」とアナウンスされたが、40人ほどの乗客はみな無事に最後まで楽しんだ。コースは東尋坊の先の雄島(おしま)まで、30分かけて周回する。    ここの岩場は「輝石安山岩の柱状節理」と呼ばれ、地質学的には大変珍しい。これだけのスケールは世界で東尋坊を含めて3カ所しかなく、韓国の金剛山とスカンディナビア半島のノルウェー西海岸のみだそうだ。もちろん国の天然記念物に指定されている。    五角形、六角形の柱状の岩が集まり、水面からの高さは約25m もある。ビルの8、9階相当だ。奇岩にはハチの巣岩、ライオン岩、大池など独特の名前が付き、乗客は揺れる船内からなんとか絶景を画像に収めようと、踏ん張ってカメラを構えていた。  遊覧船を降りて、切り立った絶壁に立った。碧(あお)い海原は透明度が高く、波しぶきの白さが際立っている。恐る恐る近づくが、足が竦(すく)んでしまう。遊歩道が整備され、場所によっては険しい岩場を波打ち際まで降りることもできる。    奇岩の中でも「スゴイ!」と思ったのはロウソク岩だった。日没になると柱状に夕日がかかり、まるで灯明(とうみょう)のように見えることから付けられた。神々しいこの光景を目にした先人たちは、どれほどの畏敬を感じてきただろう。    東尋坊には、もう一つ遊歩道がある。文学好きにはたまらない道で、無料駐車場近くの米ケ脇から東尋坊を経て、雄島まで続く約4㌔の荒磯遊歩道だ。クロマツが生い茂り、場所によっては断崖上に続く。地元ゆかりの文人や詩人、俳人たちの文学碑が立っている。高見順、三好達治、高浜虚子、山口誓子ら9人の名前と詩が刻まれている。    遊歩道の先には朱塗りの大橋が架かり、雄島に渡ることができる。土地の人から「神の島」とあがめられ、石段を登ると大湊神社が鎮座している。島を巡る遊歩道には樹齢100年を超えるタブノキやスダジイが茂り、海食による崖も続いて、東尋坊とは一味違った景観が楽しめる。 (「昇龍道」取材班)

外国人客に参拝の手ほどき

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《29》 金沢「御朱印ツアー」  金沢を訪れる外国人観光客に神社など参拝の作法を知ってもらい、日本の文化や風習に理解を深めてもらおうと、金沢星稜大学女子短期大学部の学生5人が「おもてなし小娘」を結成し、「金沢の神社にて御朱印集めツアー」を企画。このほど、兼六園(国特別名勝)周辺に鎮座する四つの神社を参拝した。    企画したのは経営実務科2年次生のHさんで、学業の傍ら、昨年春から金澤神社で巫女のアルバイトをしている。北陸新幹線の開通で参拝に訪れる外国人が増えたが、案内するうちに手水の仕方や二拝二拍手一拝など参拝の作法が分からず、戸惑っていることに気付いた。神社には英語の表記もなく、このままではいけないと感じ、ゼミで異文化交流を学ぶ4人の友人たちに企画を持ち掛けて始めた。     金沢駅やゲストハウス、フェイスブックで発信したところ、フランス人やドイツ人、イギリス人、インド人、ベトナム人など14人が応募。20代から30代後半の男性6人女性8人が集い、金澤神社と尾山神社、石浦神社、護国神社を巡った。活動は今年度の大学コンソーシアム石川の「学生による海外誘客チャレンジ事業」に採択され、「おもてなし小娘」としてスタートすることができた。  「最初はスタンプラリーのようなもので、神社に行ってスタンプを押すだけと考えていましたが、参拝した証として戴くものと分かり、気持ちの持ち方がとても大切だと気付きました」「記念にもなるし、後で神社のことを思い出すことができます」と振り返っている。同世代の間では「御朱印」が京都を中心にブームになっており、着物姿で散策しながら集めるのが魅力とのこと。  参拝した外国人も、御朱印を手にすると感動。その場で一枚一枚が毛筆で丁寧に手書きされ、手渡しまで少し時間がかかるが、それでも彼らは喜びを隠さない。金澤神社の御朱印には文字の上に金箔がポイントされ、高級感たっぷりだ。    外国人からは「これまで日本の神社をたくさん訪れたが、しきたりを知ったのは今回が初めてでとても嬉しかった」(オランダ人)、「主催者と宮司さんの双方から神道の概念について多くを学ぶことができた。日本文化と伝統を知る晴らしい経験でした。別のツアーも企画して欲しい」(インド人)などが寄せられた。また、「英語を話すのは難しいと思うが、恥しがらずにもっと使って欲しい」など激励の声も。    ツアーを振り返った「おもてなし小娘」たちは、前田利家公を祀る尾山神社で「あの像は誰か」とか、ちょうど七五三のシーズンで「その意味を聞かれた」などを出し合い、「基本的な知識を説明できるように準備しておくことが大切ですね」と貴重な体験を話し合っていた。(写真はすべて「おもてなし小娘」提供) (「昇龍道」取材班)

道元禅師が開いた修行道場

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《28》  福井県永平寺町で、荘厳な伽藍(がらん)を構える曹洞宗の大本山・永平寺を訪ねた。拝観したのは今月初旬の週末で、好天に恵まれ多くの参拝者で賑わっていた。欧米の人たちも見掛けたが、旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で二つ星の評価がついているからだろう。ちなみに二つ星は「寄り道する価値がある」観光地だそうだ。    参道を歩くと、樹齢700年とも言われる杉の巨木が生い茂り、凛とした空気に包まれ、自然と厳かな気持ちになる。まず吉祥閣に入った。ここは一般参禅者の坐禅や写経体験の研修道場だ。入り口の常香炉で煙を浴びて身を清め、受け付けを済ませて参拝の諸注意を受けた。身心を整えて左側通行で静かにお参りする、雲水(修行僧)に直接カメラを向けない、フラッシュは禁止、建物の外には出ないなど指示された。    永平寺は周知の通り、道元禅師(1200~1253)によって開かれた坐禅修行の道場で、四方を山に囲まれた深山幽谷の地にあり、大小70余りのお堂と楼閣が並んでいる。広さは約33万平方メートルと東京ドーム7個分に当たり、今日まで770年余の時を刻んでいる。修行に欠かせない「七堂(しちどう)伽藍」は回廊で結ばれ、廊下、階段は毎朝、雲水によってぴかぴかに磨き 上げられており、気持ち良い。  必見は吉祥閣2階の「傘松閣(さんしょうかく)」で、別名「絵天井の間」と呼ばれる。天井には昭和5(1930)年創建当時の代表的な日本画家144人が描いた230点の絵がはめ込まれている。ほとんど花鳥の色彩画で、ミニチュアサイズの絵が天井の各場所と作家の名前入りで壁面に展示されている。絵の中に鯉、唐獅子、栗鼠(りす)が描かれた5枚の絵が隠されており、それを探し出すと願いが叶うとあって、年配のご婦人方が“絵探し”を楽しんでいた。    順路に従って拝観していくと、雲水の修行の場である僧堂、浴室、東司(とうす)と並ぶ。東司とはトイレのことだ。これらは「三黙(さんもく)道場」と呼ばれ、私語は一斉厳禁。永平寺は365日の生活すべてが修行とされ、雲水に与えられるのは一畳ほどのスペースだけ。そこで坐禅や食事・就寝など日々の修行に励む。その生活は鳴らし物で始まり、朝3時半の起床は振鈴(しんれい)という鈴の音で、食事は大きな魚鼓(ぎょく)が打ち鳴らされる。現在、160人を超す雲水が修行中だ。    一通り拝観を終えて「ひといき坐禅」の部屋に入った。ここでは身近に坐禅体験できる。丸い坐蒲(ざふ)がきちんと並べられ、20 人ほど座れる。足と手を指示された通りに組み真似た。雑念を一切捨て去り、ただ ひたすら坐禅を組み、修行する只管打坐(しかんたざ)には程遠いが、日本文化に大きな影響を与えた禅の教えの源流に、わずかでも触れることができたように感じた。 (「昇龍道」取材班)

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