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カルチャー
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保存に奔走した地域の人々
サンデー編集部
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2019年7月20日
松本城 曇りの予報だったが見事に外れた。目的地に向かって歩く途中も小雨が止 やむ様子はなく、観光客がいるかどうか不安に駆られた。取りあえず着いてみると、幸いなことに傘を差した外国人の姿がちらほら見受けられた。今回のお目当ては長野県松本市の松本城だ。 ベンチで城を見詰める年配の男性に話し掛けると、得意げに「あれを上から下まで全部、昔の人が自分の手で造ったんだよ」と自慢された。市民から「烏城」の名前で愛される黒い天守閣は、美しく悠然とそびえ立っていた。一面に水をたたえた内堀とその岸沿いに植えられた枝垂れ柳、そして堀の上に架けられた赤い橋・埋橋(うずみばし)とともに眺めると、なんとも言えない趣がある。思わず、戦いのために造られた城であることを忘れてしまうほどだ。 戦国時代に信濃守護だった小笠原氏が拠点となる城を築城した際、その支城として築かれたものの一つが、松本城の前身とされる。分厚い壁や城内から射撃するための「鉄砲狭間ざま(ざま)」など、鉄砲戦への備えが戦国時代へタイムスリップさせる。五重の天守は現存するものの中では最古で、1936年(昭和11年)には国宝に指定された。 中に入ってひときわ目を引くのが、コレクターによって寄贈された141の鉄砲とその関連資料の展示だ。鉄砲の造り方や使用方法のほか、麻糸で複数の弾をつなげた変わり弾など珍しい品々も紹介されており、訪れた外国人や家族連れが熱心に見詰めていた。 天守の最上階に上がると、城の守り神である「二十六夜神」が真上に祀(まつ)られていた。松本城には不思議な伝説が残されている。一人の侍が殿中で宿直をしていたところ、突然美しい姫君が現れ、「26日夜の日に米三石三斗三升三合を炊いて祝うこと。お城は必ず栄えようぞ」と告げて消えた。 侍は家老を通じて藩主に報告し、言われた通りの祭祀(さいし)をすることとなった。その後、城で火事が起きたものの天守は焼け落ちず無事だった。この不思議な姫君のおかげだという。 だが、この城を襲った一番の災難は、武家の時代が終わった明治時代に起きた。廃藩置県後、不要となった城の荒廃が著しく、破壊・売却の危機に陥った。それを憂えた城下町生まれの市川量造は天守と本丸広場を中心とした博覧会を企画し、その収入によって天守を買い戻した。さらに松本中学校の小林有也校長らが1901年(明治34年)に松本天守閣保存会を設立。11年間の歳月をかけて修繕工事を行い、倒壊の危機から救った。城を愛し奔走した市民の努力がなければ、この城は今の姿を保っていたか怪しい。 松本城は幾つもの困難を乗り越え、今も多くの市民にとっての誇りになっている。姫君のご加護もまだ続いているのかもしれない。 (「昇龍道」取材班)
カルチャー
犬山城
サンデー編集部
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2019年7月13日
~色濃く留める城下町の名残り~ 木曽川沿いの小高い丘の上に聳(そび)える「国宝犬山城」は、現存する日本最古の様式の天守閣として知ら れている。名鉄・犬山駅からその姿を望める犬山城まで歩いて向かった。 案内板に従って犬山駅の西口から10分ほど進んでいくと、犬山城が聳える丘まで真っすぐ続く城下町のメインストリート「本町通り」に行き当たる。 それまで所々に城下町らしさの名残が感じられる程度だったのが、本町通りの両側に古風な木造建築を模した多くの土産物屋などが立ち並ぶ光景が目に飛び込んできた。実際に本町通りには、幕末から明治初年に建築された国の登録有形文化財「旧磯部家住宅」など古い町並みの姿も残っている。 犬山の城下町は、中心の町人町の周りを囲むように侍町があり、防衛上の要所に寺院を配置。さらに城下町の周囲に掘や土塁を巡らせた“城と城下町が一体”となった“総構え”の形で築かれた。そんな江戸時代ごろに形成された町割りの形を今も残し、城下町としての名残を色濃く留(とど)めている。 例えば、犬山城が聳える丘の麓にある針綱神社の祭礼「犬山祭」では、今も城下町時代からの町割りでった13町内ごとに「車山(やま)」と呼ばれる縦に細長い作り山車の上で、からくりを使った演目を奉納するのだとか。通りを歩くと、尾張北部の商業・産業の中心地であった犬山の城下町であった頃の人の繋(つなが)りや風習が、今も息づいているように感じられた。 そんな通りを抜けると、正面に遠くに見えていた犬山城が大きく見えてくる。城下町の景観のため犬山城周辺地域の電線を地下に埋めたのも、空が広く見えるのも城を大きく見せるのに一役買っていただろう。 犬山城は天文年間(1532~55年))の初めごろ、織田信長の叔父に当たる織田信康が城下町の南にあった木ノ下城を移して築城したと伝えられている。現存する天守の創建年代は天正(1573~92年))ごろ、慶長(1596~1615年)ごろと諸説あり明らかになっていない。 だが、その古くから続く歴史や伝統が大勢の外国人観光客を引き付けているようだ。犬山城の城門前では多くの外国人たちの姿が見受けられた。 犬山城内の角度が急な階段を上り下りするのは、少し辛(つら)いが最上階からの眺めは絶景。木曽川の方から吹き付ける涼しい風を浴びながら見る、犬山の豊かな自然は、見えた景色の先に足を運ばせたくなる魅力があった。 展望台で擦れ違った外国人のカップルは、この後、自転車(ロードレーサー)を借りて木曽川沿いの遊歩道をサイクリングするのだと話してくれた。
カルチャー
関鍛冶伝承館(関市)
サンデー編集部
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2019年7月6日
岐阜県関市は、刀匠の町である。室町時代には刀匠300人を数え、「折れず曲がらずよく切れる」関の刀はその名を全国に知られるようになる。それ以降、優れた実用性を誇る関の刀は、戦国時代、戦場の武士たちに愛用された。有名な「関の孫六」は二代目兼元のこと。 関市の刀鍛冶は、鎌倉時代に刀祖・元重がこの地に移り住んだことに始まる。刀作りが盛んになり名刀が生まれるようになった背景には、良質の焼刃土と炉に使う松炭、良質な水、そして長良川の水運があった。 日本刀作りの伝統を背景に近代に入って刃物産業が盛んになり、世界的な刃物メーカー、フェザーなども生まれる。市内には、、カミソリのテーマパーク「フェザーミュージアム」や「刃物会館」もある。 「関鍛冶伝承館」は、そんな関の刀鍛冶の伝統を知るには絶好の施設。1階には兼元・兼定をはじめとする古今の名刀が展示されている。記者が訪ねた時には、イヤホンガイドを聞きながら熱心に名刀の展示を観みる何人もの外国人の姿が見られた。日本刀に関する基礎知識、刀作りのさまざまな工程などが分かりやすく展示されている。 隣の工房で日本刀の鍛錬の実演が行われると言うので見に行く。実はこれが目当てだったのだが。 白い装束に身を包んだ刀匠が現れ、炉に火が入れられていよいよ 刀鍛冶の実演が始まった。指導役の横座と大槌(おおづち)を打つ先手に分かれて、相槌を打ちながら、真っ赤に熱せられた鋼を打つと火花が散る。それを何度も繰り返す。「折り返し鍛錬」という、強い鋼を作るための最も基礎的な作業である。 それが終わって、刀匠の吉田研さんが、刀作りについて説明をしてくれた。「使う炭は備長炭がいいと思われるかもしれませんが、備長炭は火が回るのに時間がかかり炉の温度を下げてしまうので、松炭を使います」 「日本語には、『焼きを入れる』『とんちんかん』と言う言葉がありますが、『とんちんかん』は、槌を下ろし損ねて変な音が出たことからきています。それくらい刀鍛冶に由来する日本語は多いんです」 なるほど、日本語の中に刀鍛冶に由来する言葉が、こんなに根付いているとは知らなかった。強さと柔軟さと美しさを持つ日本刀、そして刀鍛冶に日本文化の精髄が生きていると実感した。 関鍛冶伝承館での鍛錬の実演は毎月第1日曜の午前10時半からと午後1時半から2回行われる。
カルチャー
篝火の下の幻想ドラマ
サンデー編集部
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2019年6月23日
木曽川水系の清流、長良川は鵜飼いで有名だ。その「清流長良川の鮎」は平成27年、農業水産技術での指定では全国で初めて世界農業遺産に登録されている。鵜飼いで獲とれた鮎はすぐ鵜が活いけ締めにするので、美味しさはかの北大路魯山人も太鼓判を押している。 長良川の鵜飼いは岐阜市と関市の2カ所で行われている。少し上流にある関市へはJR美濃太田駅から第三セクターの長良川鉄道に乗り換えてゆく。鵜飼い見物の屋形船の出る小瀬の川岸に着くと、鵜匠が鵜を入れた駕籠を担いでやって来て、鵜舟は一足先に上流へ向かった。 午後7時ごろ屋形船も上流へ漕こぎ出す。清流に浮かび、対岸の森の鳥の鳴き声を聞いたり、夕食の弁当をつかったりしながら暗くなるのを待つのである。 鵜飼いは全国12カ所で行われているが、岐阜の長良鵜匠6人と小瀬の3鵜匠は、宮内庁式部職に任命されている。その一人、足立陽一郎鵜匠が鵜飼いについて説明をしてくれた。 「腰こしみの蓑は、鵜に魚を吐かせるときなどに掛かる水しぶきで体が冷 えないようにするために着けています」 「鵜の首を縛るものを首結いといいますが、指1本が通るほどの間隔を開けて結びます。大きな魚は通さず小さな魚はそのまま喉を通って鵜が食べることができるようにしています」 そうするうちに、日はとっぷりと暮れた。上流から篝火を舳先に掲げた鵜舟がゆっくりと下って来た。いよいよ鵜飼いの始まりだ。 篝火と鵜舟の舳先、そして鵜匠と手縄の先にいる鵜だけが闇の中に浮かび上がる。鵜匠は鵜の動きを真剣に見詰め、手縄を捌さばいている。鵜たちは懸命に魚を追っている。闇の一画で幻想的なドラマが演じられている。 そのドラマに心を奪われているうちに、船は、船着き場あたりに戻っていた。足立鵜匠が「シーズンが始まったばかりということで鮎はまだ小さい」とこの日の漁の結果を説明したが、「河かこうぜき口堰ができてから魚が少なくなった」という言葉には、悔しさもにじんでいるようだった。 小瀬鵜飼予約=関遊船:&0575(22)2506 HP・URL= http:www.ozeukai.net (「昇龍道」取材班)
カルチャー
人気の武将隊、豪華絢爛の本丸御殿/名古屋城
サンデー編集部
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2019年6月16日
昇龍道を行く(9) 名古屋城天守閣の金の鯱“金シャチ”の高さ約3㍍の実物大レプリカが、今月下旬まで大分空港(国東市)の出発ロビーに展示されている。名古屋の観光PRの一環で、中部国際空港セントレアとの直行便のある空港で行っており、今回で8カ所目。 その名古屋城の金シャチを見ようと、地下鉄市役所駅を降り、美味しそうな名古屋めしの店が並ぶ金シャチ横丁を通って城内に。二之丸広場に行くと、甲冑姿の侍や忍者が演武をやっていた。名古屋城ゆかりの武将に扮した「名古屋おもてなし武将隊」と「徳川家康と服部半蔵忍者隊」だ。この日は「名古屋城検定」の紹介も行われ、武将が出したクイズに観客が答えている。 クイズが終わると、今度は各武将との写真撮影会。武将はみなイケメン揃いで、それぞれ50人ほどの列ができた。ツーショットを撮ってもらうだけでなく、短い会話で交流を楽しんでいる。 徳川家康公の列に付いたオーレ・クリスチャン・ネルソンさん(28)はノルウェーからのツーリスト。武将隊のことを聞くと日本語で、「とてもカッコイイです。わたし源平、幕末、戦国の歴史、侍、忍者大好き」と言う。 織田信長とのツーショットに満足げなのは静岡県浜松市から来た鈴木みな美さん(30代)。仙台の青葉城を訪ねた時、おもてなし武将隊に感激、名古屋城にもあると聞いてやって来た。「歴史は詳しくないのですが、とても勉強になります」 日本三大名城に数えられる名古屋城だが、昭和20年の空襲で、天守閣や本丸御殿などほとんど焼失してしまった。しかし、江戸時代の文献や、昭和戦前期の古写真、実測図など豊富な資料が残されていた。それを元に、約9年がかりで本丸御殿の復元工事が行われ、昨年6月に完成、公開が始まった。 本丸御殿は、徳川家康の命で尾張藩主の住居・政庁として慶長20年(1615)に建てられた。京都の二条城と並ぶ近世を代表する書院造の建造物で、13棟の建物で構成される。戦災を免れた障壁画も復元されている。 木曽ひのきをふんだんに使い、天井の装飾や柱などの飾り金具も当時のままに再現。圧巻は、彩色を付した欄間で、日光東照宮にも劣らない豪華絢爛なものだ。これら全て戦火で失われた御殿を当時のまま再現するというところに、名古屋市民の意地と誇りを感じる。 天守閣は耐震問題で閉鎖中だが、剛毅な河村たかし市長は、天守閣も木造で再建する計画を進めている。 (「昇龍道」取材班)
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