人と歴史

世界遺産を造った築城の天才ー中城按司 護佐丸 盛春

琉球国時代、「按司」と呼ばれる、地域を治める首長が各所に存在した。中でも「按司の中の按司」と呼ばれ、ひときわ功績が称えられている人物がいる。その名は護佐丸盛春だ。 護佐丸は現在の恩納村にある山田グスク(城)按司の三男として生まれた。しかし護佐丸の先祖はもともと、北山の今帰仁グスク按司だったが、戦いに敗れたことで山田グスクに追いやられていたのだった。

民族の悲哀と誇りを訴えるー「アイヌ神謡集」著者 知里 幸恵

北海道南部に登別市という街がある。西は室蘭市、東は白老町・苫小牧市に挟まれた自然が豊かな静かな所である。郊外には登別温泉という道内でも有数の温泉地があり、道内外から多くの観光客が訪れる地域としても有名。

「精神主義」で浄土真宗を改革ー近代仏教の創始者 清沢 満之

近代仏教の誕生に大きな足跡を残した清沢満之は生前、鈴木大拙らに高く評価されたが、死後長らく忘れ去られていた。昭和40(1965)年、「中央公論」4月号の座談会「近代日本を創った宗教人100人を選ぶ」で司馬遼太郎が清沢を取り上げたのを機に2002年以降、岩波書店から全集が発行され脚光を浴びつつある。

坂本龍馬と薩長同盟に尽力ー陸援隊隊長 中岡 慎太郎

江戸時代末期、坂本龍馬と共に、徳川幕府に代わる新しい国造りに日本を駆け巡った人物がいた。大政奉還からわずか1カ月後、坂本龍馬と共に京都で暗殺された、陸援隊隊長の中岡慎太郎だ。中岡慎太郎は天保9(1838)年4月13日、土佐国北川郷(現在の高知県安芸郡北川村)の大庄屋(江戸時代、最上位の村役人)の跡取りとして生まれた。

鐘紡における中興の祖ー実業家 武藤山治

戦前、繊維産業はかつての鉄鋼、および現在の自動車と共に基幹産業であった。鐘淵紡績株式会社(以下鐘紡)の中興の祖といわれた武藤山治が支配人・社長を務めた明治から昭和初期にかけて、日本の産業界で最も国際競争力のあったのが紡績業であった。 武藤山治は、慶応3(1867)年に美濃国安八郡(現在の岐阜県海津市)で、父・佐久間国三郎、母・たねの長男として生まれた。慶應義塾において福沢諭吉の下で学び、卒業後はアメリカへ留学した。帰国後、武藤に改姓。三井銀行などを経て、明治27(1894)年に鐘紡へ入社、兵庫支店の支配人となる。大正10(1921)年、社長に就任した。新しい経営手法を取り入れ、日本有数の企業に育てた手腕はよく知られている。

牧草と花壇で名を馳せたー農園創設者小川 二郎

190万人都市・札幌で市民が気軽に憩える場所として挙げるとすれば真っ先に大通公園になるであろう。北海道が春らしくなる5月上旬から秋口まで、大通公園は緑の芝生に噴水、そして花壇に咲く奇麗な花々が訪れる者の目を楽しませてくれる。元来、この大通りは明治の開拓使の頃、市内の火事拡大を防ぐ防火線としての役割が一番の目的であった。その大通公園に初めて本格的な花壇をつくったのが小川二郎だった。明治40(1907)年、小川は札幌区議会(現在の市議会)に働き掛け2丁目から4丁目を自費を投じて耕し、花の苗を植えていった。

【仏教哲学者 井上円了】妖怪学で「心の近代化」を

明治20年ごろ、日本中に「こっくりさん」が蔓延した。これを調査し、実験によって解明したのが井上円了である。 越後の浄土真宗の寺に生まれた円了は、東京大学で西洋哲学を学び、東洋大学の前身「哲学館」を創設。さらに講演で庶民の啓蒙に尽力しながら、妖怪や怪奇現象などの解明に奔走した。日本人の「心の近代化」を目指し、自立した個人を育てるためである。

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