カルチャー

信長を支えた終わりの経済力

3月1日放送の「麒麟がくる」では、斎藤道三の「美濃には港がない…」というせりふが印象的でした。戦国時代は戦争に明け暮れていたように思われますが、鉄製の農機具が普及し、各地で開墾が進んだことから米の生産量が向上しています。それによって交易が活発になり、貨幣経済が全国に及ぶようになったのです。

鉄砲が変えた戦国時代の日本

ドラマでは光秀が鉄砲に興味を持ち、その構造や製法、使い方を学ぶ様子が描かれていました。美濃から越前に逃れ、朝倉義景に仕えるようになった光秀が認められたのも、一向一揆の鎮圧で鉄砲隊を効果的に使ったからだとされています。

美濃を制する者は天下を制する

戦国時代の小説によく出てくる「美濃を制するものは天下を制する」という言葉を語ったのは斎藤道三か織田信長と言われていますが、史料には見当たらないようです。有名になったのは、司馬遼太郎の『国盗り物語』で使われたからで、それなら道三のようですが、彼は美濃を支配する前に息子の義龍に討たれてしまいます。しかし、美濃の戦略的重要さを知っていたのは確かで、その夢は娘の帰蝶が嫁いだ織田信長によって実現されます。

信長討伐に至った恵林寺の焼き討ち

本能寺の変が起きた1582年6月21日の1カ月前、5月27日に、亀山城(亀岡市)から愛宕山(京都市右京区)の愛宕権現に参詣し、参籠した光秀は、同行した家臣や連歌師と連歌を詠み、奉納しています。愛宕大権現は戦の神である愛宕勝軍地蔵を祀まつる神社で、上杉謙信も深く信仰していました。

少年時代から「国盗り」斎藤道三の薫陶受ける

生誕地に加え光秀の父も、明智光綱、光国、光隆、頼明と諸説あり、大河ドラマは光綱説を採用しています。明智氏は清和源氏系の土岐氏の流れで、同氏は南北朝時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務めた名門で、室町幕府の幕閣として、最盛期には美濃、尾張、伊勢の3カ国の守護大名になっています。

日本一大きな位牌に光秀の供養祭

昨年6月8日、かつて明智荘があった岐阜県可児市の天龍寺で光秀の438回忌・供養祭が営まれました。本堂には、光秀の命日6月13日にちなみ6尺1寸3分(184㌢)という大きさの光秀の位牌が祀られており、日本一大きな位牌だとされています。

海から湧き出る90度の源泉

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《34》 「昇龍道」の龍の頭に当たる能登半島最大の出湯・和倉温泉は、七尾湾に沿って加賀屋や多田屋など、老舗の有名旅館が軒を並べている。年間を通して波が穏やかで、対岸には能登島が浮かび、風光明媚なところだ。ここの温泉の特徴は、海底から90度の源泉が湧き出していることで、試しに舐めてみると、とても塩辛い。これが美肌に効果的とされ、女性客に人気が高い。開湯以来1200年の歴史があり、シラサギ伝説を伴っている。平安時代、傷ついた2羽のシラサギが沖合で羽を休める姿を見た漁師が不思議に思い、近づいて温泉を発見したという。  街の中心にある共同浴場の総湯に入った。ガイドブックには明治32(1899)年から続いていると書かれているので、さぞかしひなびた温泉場かと思いきや、外観も浴室もとてもきれいだ。それに天井が高くて広々としており、開放感たっぷり。8年前にリニューアルし、今は7代目とのこと。  入浴料440円を払って入ると、説明書きがあった。90度の高温で湧き出す温泉を熱交換器を使って、加水することなく利用しているという。さらに濾過器を使っているが、毎日閉館時に浴槽のお湯は全て入れ替えているとある。こんな能書きを見ると、ありがたい気持ちになり、透き通ったお湯がさらに気持ち良く感じてしまう。露天風呂や立湯、サウナも備え、無料の休憩室もある。近隣のホテルの宿泊客も利用するというから、それもうなずける。玄関前には足湯もあり、休日には魚介類や農産品の朝市も立ち、午前中は盛況だ。  湯船に浸って心身ともリフレッシュして、温泉街の名所を巡った。総湯から徒歩5分ほどに弁天崎源泉公園がある。ちょうど加賀屋の前だ。ここには豊かな湯量を使った仕掛けが幾つかあって楽しい。まず足湯ならぬ「手湯」。屋根の下に円形の形の石が置いてある。最初は噴水かと思ったが、指を入れると温かい。「手首から先を浸せ」とあるので、その通りやってみると、じわじわと体が温まってきた。「あったかベンチ」も見逃せない。畳2枚ほどの木のベンチで、座るとほんのりと温かさが伝わってくる。ここで読書すると、そのまま眠ってしまいそうだ。足湯・手湯・ベンチとも無料で利用できる。    温泉卵もできる。公園に隣接するロータリー広場には「湧浦乃(わくうらの)湯壺」があり、開湯伝承のシラサギのブロンズ像と記念碑が立っている。2羽の間の湯壺に源泉が流れ落ちる。近くの店で卵を買ってネットに入れてもらい、15分ほどここに浸しておくと温泉卵になっていた。ほんのりと塩味が利き、美味だった。  和倉温泉は古くから輪島や珠洲など奥能登各地に向かう拠点として賑わい、輪島まで車で1時間、珠洲まで1時間20分ほどだ。 (「昇龍道」取材班)

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