ひと

千畝を敬愛するリトアニア

バルト海に面するリトアニアという国になじみのある日本人は少ないだろう。だが、「杉原千畝」と聞けば、ピンとくる人も多いのではないか。  ナチスの迫害を逃れるため、多くのユダヤ人が日本通過のビザを求めて殺到したのが、リトアニアの日本領事館だ。1940年当時、領事代理だった千畝はビザを発行し、数千人もの人命を救済した。

殺処分の悲劇乗り越え再建へ

 沖縄で2020年1月イノシシや豚の伝染病豚ぶたねつ熱(豚コレラ、CSF)が、34年ぶりに県内で発生。沖縄本島中部のうるま市と沖縄市を中心に感染が拡大した。沖縄市の喜納農場でも一部の豚が感染し、当時飼育していた3012頭の豚の殺処分を余儀なくされた。

ワインで食と人々つなぐ

 海と山、人々が共に生きるまち、宮城県の南三陸町。2019年から南三陸ワイナリーを率いる佐々木道彦さんは、地元のあらゆる食材に合うワインを通じて、町の食だけでなく、人々の心をもつないでいる。

テレワークで人生の再定義を

 2 0 17 年に創業した、「ニット」(東京都品川区)の代表取締役・秋沢崇夫さんは「働き方が変わることで、自分の時間の使い方も変わってきた。今後、それを応援する企業に優秀な人材が集まるようになるだろう」と指摘する。

転機をチャンスに夢の舞台へ

 オペラ歌手として歌声で人々を魅了し、音楽の魅力を伝えている宗田舞子さん。3歳からピアノとバレエを始め、母が流すクラシックを聴きながら育った音楽少女だった。将来の夢は「バレリーナかピアニスト」、小学5年生の時にはピアノの先生に「音大に行きたい」と話していた。ピアノとバレエ、週3回ずつ通ったが、一度も「練習しなさい」と言われたことはなかった。

音楽を通じて喜びを伝えたい

心揺さぶられる響きに透き通るような音色――。西本梨江さんが鍵盤に触れると、場の雰囲気ががらりと変わる。3歳からピアノを弾き、幼くして作曲もこなしてきた西本さんは、音楽を通じたチャリティー活動に勤しんでいる。ピアノを始めたのは、姉が通っていた音楽教室で興味を持ったのがきっかけ。先生には「無口な子」という印象を抱かれていたが、演奏を始めるとがらりと表情が変わり、当時から「ピアノで感情を表に出す」子供だったという。

失敗は自分を高める材料

「野球を通じて、人として大切なものは何か教わること ができた」こう語るのは「ミスターアマ野球」と呼ばれた杉浦正則さん。バルセロナ、アトランタ、シドニーの五輪3大会に日本代表選手として出場し、二つのメダルを獲得した投手だ。

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