人と歴史

【連載企画㉙】新太郎、政界へ 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

明治32(1899)年2月12日、大橋新太郎は東京商業会議所議員選挙に初めて出馬しました。

【連載企画㉘】渋沢に可愛がられた新太郎 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

大橋新太郎の父佐平は、その資性が自由気ままで豪快な性格で、なかなか他人と交わるところがありませんでした。

【連載企画㉗】関係企業は50社以上 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

日本郵船の大規模ストライキ解決に尽力した大橋新太郎は、次々に企業から声が掛かります。また、その一方で財界の重鎮からの推薦もあり、実業家としてさらに活躍していきます。

【連載企画㉖】ストライキ解決に尽力 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

大橋新太郎にとって、渋沢栄一との縁を深くさせる出来事が起こります。

【連載企画㉕】栄一と信頼関係結ぶ 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

大橋新太郎は上京すると、父佐平が棚卸をしていないことに気付きます。そして、早速、棚卸を行ない、損益計算書、財産目録を作成するなど、経理・会計面に精を出します。

【連載企画㉔】父の事業を手伝う新太郎 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

「日本大家論集」ほかの雑誌で成功を収めた大橋佐平は故郷・長岡より新太郎を呼び寄せることになりました。新太郎は長岡での事業を弟の省吾に譲り、明治21年春に上京、佐平とともに博文館の経営に携わることになったのです。

【連載企画㉓】出版のデパート「博文館」渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

大橋佐平が主導した博文館出版の嚆矢『日本大家論集』第1編は、諸家の名著佳文を抜粋再編した内容で、日本の出版業界からは殆どが、剽窃であり、まさに「日本抬花乱集」と呼ぶべきだなどと攻撃されましたが、初版の3000部は、たちまち完売となる上々のスタートを切りました。

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