人と歴史

【連載企画③】財なき財閥だった渋沢家 渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

渋沢栄一が息子たちに語った有名な言葉があります。 「儂がもし一身一家の富むことばかりを考えたら、三井や岩崎にも負けなかったろうよ。これは負け惜しみではないぞ」

【連載企画②】事業哲学は『論語と算盤』ー渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

日本資本主義の育ての親といわれる渋沢栄一が大きな話題になっています。NHK大河ドラマに起用され、7月には新一万円札の顔として登場しました。

【連載企画①】お札の顔 諭吉から栄一へー渋沢栄一と偉人達 ~令和日本への温故知新~

日本銀行は令和5年7月3日、新たな紙幣3種類の発行をはじめました。 一万円札は、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一、5000円札は、女性の地位向上につくした津田梅子、1000円札は、破傷風の治療を確立した北里柴三郎の肖像が描かれています。

修験道と真言密教を融合ー平安時代前期 真言宗の僧 聖宝

大阪市北区にある大阪中之島美術館で8月25日まで、「開創1150年記念醍醐寺国宝展」が開かれている。

日英同盟陰の立役者ー陸軍大将 柴 五郎

薩摩・長州の藩閥が要職を独占していた明治政府で、朝敵とされた会津藩から陸軍大将にまで昇りつめた人物がいた。柴五郎である。柴は1859年会津藩士の家に生まれた。時代は幕末、68年には朝敵の烙印を押された会津藩が新政府軍(薩摩・長州他)と戦った戊辰戦争が始まる。

淀川改良工事を立案・施工ー土木技師 沖野 忠雄

淀川の洪水は古代から幾度となく繰り返され、その都度大きな被害を受けてきた。  中でも明治18(1885)年の淀川左岸における氾濫は、ようやく近代的発展を成し遂げようとする大阪とその周辺に、甚大な被害をもたらした。そのため、淀川改修工事を急ぐ必要があり、明治29年、測量に着手、途中で日露戦争を挟みつつ、困難極まる事業は明治42年に完了した。

和人とアイヌに勇気を与えるーアイヌ人 弁開 凧次郎

江戸時代以前、蝦夷地を拠点に生活範囲を広げていたアイヌ民族は、明治時代に入って政府より同化政策を強いられた。それまで生きるための生業としていた鮭の捕獲や狩猟は制限を受け、経済的にも困窮していった。

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