塩狩峠を読む

《5》人の心の不自由さを知る

第7章「あこがれ」では、主人公・信夫が長い間、母・菊に持っていた恨みが解けるという重要な場面があります。ある朝、熱を出した14歳の信夫は、丸2日、病床に臥します。その時、2日間寝ずに看病したのは菊でした。朦朧とする意識の中、菊がずっとそばにいたことを感じていた信夫は、風邪が治った時、初めて「母の愛」を認めることができました。

《4》人に通じるものは誠の心

供も教えることのできるお坊さんになりたいと答え、重ねて言いました。 「永野は死にたいと思ったことはないか」 吉川の父は酒に酔うとよく母に暴力を振るうといい、かわいそうな母のために、父に暴力を止めてほしいと手紙を書いて死のうと思うことがあると打ち明けました。しかし、足の悪い妹のふじ子のため、死ぬことができないと話します。 「死」がまだよく分からない信夫は、彼を偉いと思うと同時に、母をそこまで思うことができることをうらやましく感じるのでした。

《3》〝約束〟という言葉の重み

第3章「母」では、祖母トセの四十九日の法要も済んだある夜、父・貞行は一人の女性を家に連れて帰ってくる場面から始まります。美しい目をした女性は主人公・信夫を見るなり、「信夫さん!」と肩をかき抱きますが、狼狽えた信夫は女性の胸を突いて、「だれ!この人は」と叫びます。これが信夫と〝産みの母〟である菊との再会でした。

《2》無自覚の差別意識を払拭

明治10年の2月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。 「お前はほんとうに顔かたちばかりか、気性までおかあさんにそっくりですよ」 祖母のトセがこういう時はきげんの悪い時である。  これは、小説『塩狩峠』第1章「鏡」の冒頭の一節です。

《1》人間の根幹に問い掛ける名作

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。  (新約聖書 ヨハネ伝 第十二章 二四節)」  これは作家・三浦綾子の小説『塩狩峠』のエピグラフです。エピグラフとは、「本の巻頭などに付される独立した詩、文。 題辞(日本国語大辞典より)」のことをいいます。

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