人と歴史

キリスト教精神で教化図るー樺戸集治監3代目典獄 大井上 輝前

北海道の近代化は開拓の歴史から始まった。屯田兵の存在はよく知られるが、実は内陸の幹線道路、屯田兵舎の建設、水源地の整備など基盤整備に従事していたのは監獄に収容されていた囚人たちによるものだった。 北海道空知管内の月形町には現在、旧樺戸集治監本庁舎がある。集治監とは明治時代の囚人の収容施設(監獄の一種)。

世界初、無線電話を発明、電気試験所長 鳥潟 右一

携帯電話は現代人の必需品だが、その基礎技術を発明したのが秋田県生まれの鳥潟右一である。 世界で初めて無線に音声を乗せる電話機を発明し、離島や船舶の航行に大きな利益をもたらす。東京と上海間の無線通信にも成功し世界をあっと驚かせたが、電気試験所長の時に40歳で病没し惜しまれる。今年は没後100周年で記念行事が催された。

近代的社会事業確立に足跡ー民生委員の父 林 市蔵

淀屋橋の南詰、川のほとりで和服姿の座像が、人と車の行き交う通りを見詰めている。この記念像は第15代の大阪府知事で「民生委員の父」として知られる林市蔵である。林は大正7(1918)年、府知事時代に、社会の片隅で必死に生き抜こうとする人々を救済するため、全国初の方面委員制度を創設。これがやがて現在の民生委員制度に発展、全国的な社会救済制度にまで発展した。

世界遺産を造った築城の天才ー中城按司 護佐丸 盛春

琉球国時代、「按司」と呼ばれる、地域を治める首長が各所に存在した。中でも「按司の中の按司」と呼ばれ、ひときわ功績が称えられている人物がいる。その名は護佐丸盛春だ。 護佐丸は現在の恩納村にある山田グスク(城)按司の三男として生まれた。しかし護佐丸の先祖はもともと、北山の今帰仁グスク按司だったが、戦いに敗れたことで山田グスクに追いやられていたのだった。

民族の悲哀と誇りを訴えるー「アイヌ神謡集」著者 知里 幸恵

北海道南部に登別市という街がある。西は室蘭市、東は白老町・苫小牧市に挟まれた自然が豊かな静かな所である。郊外には登別温泉という道内でも有数の温泉地があり、道内外から多くの観光客が訪れる地域としても有名。

「精神主義」で浄土真宗を改革ー近代仏教の創始者 清沢 満之

近代仏教の誕生に大きな足跡を残した清沢満之は生前、鈴木大拙らに高く評価されたが、死後長らく忘れ去られていた。昭和40(1965)年、「中央公論」4月号の座談会「近代日本を創った宗教人100人を選ぶ」で司馬遼太郎が清沢を取り上げたのを機に2002年以降、岩波書店から全集が発行され脚光を浴びつつある。

坂本龍馬と薩長同盟に尽力ー陸援隊隊長 中岡 慎太郎

江戸時代末期、坂本龍馬と共に、徳川幕府に代わる新しい国造りに日本を駆け巡った人物がいた。大政奉還からわずか1カ月後、坂本龍馬と共に京都で暗殺された、陸援隊隊長の中岡慎太郎だ。中岡慎太郎は天保9(1838)年4月13日、土佐国北川郷(現在の高知県安芸郡北川村)の大庄屋(江戸時代、最上位の村役人)の跡取りとして生まれた。

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