文化

美濃を制する者は天下を制する

戦国時代の小説によく出てくる「美濃を制するものは天下を制する」という言葉を語ったのは斎藤道三か織田信長と言われていますが、史料には見当たらないようです。有名になったのは、司馬遼太郎の『国盗り物語』で使われたからで、それなら道三のようですが、彼は美濃を支配する前に息子の義龍に討たれてしまいます。しかし、美濃の戦略的重要さを知っていたのは確かで、その夢は娘の帰蝶が嫁いだ織田信長によって実現されます。

信長討伐に至った恵林寺の焼き討ち

本能寺の変が起きた1582年6月21日の1カ月前、5月27日に、亀山城(亀岡市)から愛宕山(京都市右京区)の愛宕権現に参詣し、参籠した光秀は、同行した家臣や連歌師と連歌を詠み、奉納しています。愛宕大権現は戦の神である愛宕勝軍地蔵を祀まつる神社で、上杉謙信も深く信仰していました。

少年時代から「国盗り」斎藤道三の薫陶受ける

生誕地に加え光秀の父も、明智光綱、光国、光隆、頼明と諸説あり、大河ドラマは光綱説を採用しています。明智氏は清和源氏系の土岐氏の流れで、同氏は南北朝時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務めた名門で、室町幕府の幕閣として、最盛期には美濃、尾張、伊勢の3カ国の守護大名になっています。

日本一大きな位牌に光秀の供養祭

昨年6月8日、かつて明智荘があった岐阜県可児市の天龍寺で光秀の438回忌・供養祭が営まれました。本堂には、光秀の命日6月13日にちなみ6尺1寸3分(184㌢)という大きさの光秀の位牌が祀られており、日本一大きな位牌だとされています。

海から湧き出る90度の源泉

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《34》 「昇龍道」の龍の頭に当たる能登半島最大の出湯・和倉温泉は、七尾湾に沿って加賀屋や多田屋など、老舗の有名旅館が軒を並べている。年間を通して波が穏やかで、対岸には能登島が浮かび、風光明媚なところだ。ここの温泉の特徴は、海底から90度の源泉が湧き出していることで、試しに舐めてみると、とても塩辛い。これが美肌に効果的とされ、女性客に人気が高い。開湯以来1200年の歴史があり、シラサギ伝説を伴っている。平安時代、傷ついた2羽のシラサギが沖合で羽を休める姿を見た漁師が不思議に思い、近づいて温泉を発見したという。  街の中心にある共同浴場の総湯に入った。ガイドブックには明治32(1899)年から続いていると書かれているので、さぞかしひなびた温泉場かと思いきや、外観も浴室もとてもきれいだ。それに天井が高くて広々としており、開放感たっぷり。8年前にリニューアルし、今は7代目とのこと。  入浴料440円を払って入ると、説明書きがあった。90度の高温で湧き出す温泉を熱交換器を使って、加水することなく利用しているという。さらに濾過器を使っているが、毎日閉館時に浴槽のお湯は全て入れ替えているとある。こんな能書きを見ると、ありがたい気持ちになり、透き通ったお湯がさらに気持ち良く感じてしまう。露天風呂や立湯、サウナも備え、無料の休憩室もある。近隣のホテルの宿泊客も利用するというから、それもうなずける。玄関前には足湯もあり、休日には魚介類や農産品の朝市も立ち、午前中は盛況だ。  湯船に浸って心身ともリフレッシュして、温泉街の名所を巡った。総湯から徒歩5分ほどに弁天崎源泉公園がある。ちょうど加賀屋の前だ。ここには豊かな湯量を使った仕掛けが幾つかあって楽しい。まず足湯ならぬ「手湯」。屋根の下に円形の形の石が置いてある。最初は噴水かと思ったが、指を入れると温かい。「手首から先を浸せ」とあるので、その通りやってみると、じわじわと体が温まってきた。「あったかベンチ」も見逃せない。畳2枚ほどの木のベンチで、座るとほんのりと温かさが伝わってくる。ここで読書すると、そのまま眠ってしまいそうだ。足湯・手湯・ベンチとも無料で利用できる。    温泉卵もできる。公園に隣接するロータリー広場には「湧浦乃(わくうらの)湯壺」があり、開湯伝承のシラサギのブロンズ像と記念碑が立っている。2羽の間の湯壺に源泉が流れ落ちる。近くの店で卵を買ってネットに入れてもらい、15分ほどここに浸しておくと温泉卵になっていた。ほんのりと塩味が利き、美味だった。  和倉温泉は古くから輪島や珠洲など奥能登各地に向かう拠点として賑わい、輪島まで車で1時間、珠洲まで1時間20分ほどだ。 (「昇龍道」取材班)

洗練されたお茶屋文化伝える(金沢市)

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《33》 ひがし茶屋街  金沢を訪れる国内外の観光客に、兼六園と共に人気が高いのが「ひがし茶屋街」だ。藩政時代から続くお茶屋文化を現代に伝えている。金沢駅からバスで15分ほど、兼六園からだと徒歩で20分の距離にある。弁柄(べんがら)の出格子が美しく、石畳が続く街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区で、休日には人波が絶えない。    お茶屋文化を知ろうと「お茶屋美術館」(市指定文化財)に入った。メイン通りから1本入った裏通りにある。屋号「中や」のロゴの入った暖簾(のれん)をくぐり、受付で入館料500円を払う。昼間だというのに中は薄暗く、艶やかで独特の雰囲気を伝えている。    1階のガラス張りのケースには、芸妓(げいぎ)が髪に挿したかんざしやくし、結髪用のこうがいなどが展示されている。金銀やサンゴで細工され、一見して値の張る品々と分かる。狭くて急な階段を上がると、10畳の広間、5畳の離れなどがそのまま保存されている。お茶屋は遊芸のための場なので、押し入れや間仕切り壁などはない。    ここの「離れ」は必見だ。目の覚めるような鮮やかな群青色の壁で、他の地域では見られない金沢独特の壁という。北陸新幹線のグリーン車にもこの群青色が取り入れられている。一説では、金沢人がこんな派手な色を好むのは、雪が多くどんよりとした日が多いので、せめて内部を華やかにしたいとの表れという。1階に降りて中庭をのぞくと、水琴窟(すいきんくつ)が金属音を奏で、見上げると紅葉が枝に数枚残っていた。    この茶屋街は文政3(1820)年、加賀藩が近辺に点在していたお茶屋をこの一画に集めて町割りしたもので、それがそのまま現在に残っている。メイン通りに出て、「志摩」(国指定重要文化財)に入った。当時から続く唯一のお茶屋で、間口3間(約5・4㍍)、奥行き10間(約18㍍)と細長い。    中に入って驚いた。台所の脇に井戸があり、その手前には石室(いしむろ)がしつらえてある。説明書きには食物を保存した貯蔵庫とある。金沢では夏に氷室開きがあり、冬に積もった雪を氷室に保存して奉納する神事があるが、お茶屋だけにそれが行われていたのかと聞くと、単に食べ物を保存しただけとのことだった。    お茶屋は客の求めに応じて、仕出し屋から料理を取り、芸妓を呼び、遊宴を支える。そのため部屋や衣装、髪飾りは最高のものをそろえて客をもてなすのが仕来りになっている。いわば「貸し屋敷」のような役割だった。    「志摩」代表の島謙司さんによれば、「お茶屋はおもてなしの心を尽くして客をもてなします。客も同じく、もてなしの心に応えます」と話し、その上で「一見さんお断り」の理由について、「もてなす客が芸やしつらえの価値を理解できるかどうかが大切で、客がそれに応じられないと成り立たない世界なのです」と説明していた。支払いもツケで後日払いは「信頼関係が必須です」とも(市内で開かれた講演より)。こうした両者の絆の上で、お茶屋文化が受け継がれてきた。 (「昇龍道」取材班)

人気の「時雨亭」で味わう抹茶

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《32》 兼六園  金沢市の兼六園(国特別名勝)で、外国人の入園者数が昨年、初めて40万人を超えた。その勢いは今年も続いている。園内を散策すると、中国人やベトナム人らしい一行をよく見掛ける。同様に欧米のカップルや家族連れも散策を楽しんでいる。    霞ヶ池に架かる撮影スポットの徽軫(ことじ)灯籠前の石橋は人が多くてなかなか進まないこともしばしばだ。来園者は銘木の松に施された名物の雪吊りを背景に、撮影に余念がない。    外国人旅行者向けの口コミサイト「トリップアドバイザー2019」では、兼六園が姫路城や金閣寺に続き、人気スポットの11位にランクされている。寄せられたコメントには「松ってこんなにきれいなんだと初めて知りました」「日本的な庭園で庭師が丁寧に手入れしているので、とてもきれいです」など、来園者の心を魅了していることが分かる。    その兼六園で、人気を集めるスポットに「時雨亭」がある。園内3カ所ある茶室の一つで、真弓坂口から入って緩やかな坂を上り5分ほどだ。木造平屋建てでこけら葺きの屋根は、周囲の木立に溶け込んで情緒がある。加賀藩5代藩主・前田綱紀(まえだつなのり)が兼六園を作庭した頃からあった別荘で、主に茶の湯に利用されていたとの記録が残る。平成12年(2000年)に復元された。    一服の風情を味わおうと、玄関を入り、「おしながき」にある上生菓子付きの抹茶セットを注文した。受付で730円を払って畳敷きの座敷に入り、設けられた茶席に正座した。ちなみに和菓子付きの煎茶だと310円になっている。記者が訪れたのは休日の午前中で、総勢20人が席に着いた。    和服姿の女性が出て、時雨亭の歴史や建物の特長、見るべきポイントなどを教えてくれた。それが終わると、「冬ごもり」が運ばれてきた。時雨亭オリジナルの銘菓で、枯れ葉色を模した練餡(ねりあん)は控えめな甘さで味わい深い。隣席の熟年夫婦から「上品な味ね」とのささやきが聞こえた。  茶碗(ちゃわん)は地元の大樋焼と九谷焼で、記者には釉薬(ゆうやく)のかかった素朴な大樋焼の碗が持ち込まれた。ここでは作法に囚(とら)われることなく、各自自由に味わう。口に含むと苦味が強かったが、生菓子とよく合っていた。    お茶をいただいた後、座敷から土縁に出てこぢんまりとした庭を鑑賞した。長谷池のそばのドウダンツツジが真っ赤に紅葉し、ひときわ鮮やかだ。庭石の上に珍しいものが置かれていた。子供の頭ほどの石で、細縄が十文字にかけてある。茶室に欠かせない「関守石」だ。そこから先には入れないことを表している。伝統文化の深遠さに触れたように感じた。玄関を出ると、次席を待ってもう十数人が並んでいた。 (「昇龍道」取材班)

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