文化

日本人の生活に利他の教え

渋沢は日本型資本主義の倫理を儒教に求めていますが、歴史的には仏教の影響が大きいと言えます。インドで生まれ中国を経て日本に渡来した仏教は、自分の悟りよりも人々の救済を求める大乗仏教で、〝利他主義〞〝布施〞の思想が日本人に広がりました。

役人と民間人が対等な社会を

渋沢栄一がフランスで最も感銘したのは、発達した産業社会の事物ではなく、社会における人間関係、とりわけ官と民との関係です。『青淵回顧録』には次のように述べています。

株式会社と金融を学ぶ

パリ行きが決まると渋沢栄一はまず横浜中華街に行き、中国人のテーラーに洋服を作ってもらいます。フランス料理に挑戦し、食事の作法も習います。フランス滞在中、同行した水戸藩の家臣たちは脂っこい料理に閉口したのですが、渋沢は食欲旺盛でかなり太り、コーヒーも愛飲しています。

徳川慶喜との出会い

尊王攘夷運動に巻き込まれ、幕吏に捕縛されそうになった栄一にとっての幸運は、一橋家に仕官したことです。取り計らったのは一橋慶喜の側近、平岡円四郎でした。しかし平岡はその後、京都で攘夷派に暗殺されてしまいます。

生活実感から自分で考える力備える

栄一が巻き込まれた尊王攘夷は、幕末を席巻したイデオロギー運動でした。  筆者は1967年に大学に入り、翌年、東大入試が紛争のため中止になった時代に、学生運動の拠点だった寮で、しかも三派系全学連の部屋で1年過ごしたので、ある実感を持って語ることができます。

父から商売を、母から思いやりを学ぶ

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、渋沢栄一の青年時代が中心になるようです。『論語と算盤』に代表されるように、倫理に基づく資本主義の仕組みを、農民の栄一がどうして理解し、明治の日本で実現することができたのかが大きなテーマになります。

ガラシャ通じ現代へ 「40」の数字の不思議

1698年、ウィーンのイエズス会教育施設で音楽つきラテン語劇「強き女……またの名を、丹後王国の女王グラツィア」が初演されました。グラツィアとは細川ガラシャのこと。越前で生まれた光秀の三女・玉で、殉教者としてヨーロッパで有名になります。

最新記事