吉田悦花のわん句にゃん句

生き疲れただ寝る犬や夏の月

人間関係や仕事の煩わしさに気力をそがれ、生き疲れたとしか言いようがない気分になったとき。誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。

家猫にほつと野性や五月来る

家猫に野性が垣間見えるのは、虫が迷い込んできたとき、他の猫や鳥が庭にやってきたとき。動くものに飛びかかったり、猫じゃらしのようなおもちゃを捕まえようとしたりする行動は、野性の狩猟本能か。

聖五月食器のひとつ遺されて

キリスト教のカトリック教会では、五月はマリアに捧げる月とされ、マリアを崇敬し、祈りを捧げる。五月は、聖母月やマリアの月といわれ、俳句では「聖五月」として、初夏の季語になっている。

春惜しむ猫の肉球嗅ぎながら

日本における犬と猫の飼育率の割合は約3対2で、犬派の方が多いけれども、俳句は猫の句の方が圧倒的に多いといったことを作者は述べている。確かに、にゃん句は多い。犬の句の方が、探し出すのに苦労する。

長閑なるものに張子の犬のかほ

長閑は、春の日ののんびりとしたさまをいう。日も長くなり、時間の推移も人の心も緩やかに感じる。この世のすべてがゆったりしている。

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