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歌通じ日韓の懸け橋に

 日本人と韓国人で構成されるボーカルグループ「A・LA・CARTE(アラカルト)」。日韓の文化交流や和合を目的に、一人ひとりの個性が引き立つようにという意味が込められている。

心身を育む食べ物の力

 “食育スペシャリスト”とは聞き慣れない肩書だが、それもそのはず。中村詩織さんは「誰もやっていないことなので、ゼロからのスタートでした」と振り返る。

洗練されたお茶屋文化伝える(金沢市)

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《33》 ひがし茶屋街  金沢を訪れる国内外の観光客に、兼六園と共に人気が高いのが「ひがし茶屋街」だ。藩政時代から続くお茶屋文化を現代に伝えている。金沢駅からバスで15分ほど、兼六園からだと徒歩で20分の距離にある。弁柄(べんがら)の出格子が美しく、石畳が続く街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区で、休日には人波が絶えない。    お茶屋文化を知ろうと「お茶屋美術館」(市指定文化財)に入った。メイン通りから1本入った裏通りにある。屋号「中や」のロゴの入った暖簾(のれん)をくぐり、受付で入館料500円を払う。昼間だというのに中は薄暗く、艶やかで独特の雰囲気を伝えている。    1階のガラス張りのケースには、芸妓(げいぎ)が髪に挿したかんざしやくし、結髪用のこうがいなどが展示されている。金銀やサンゴで細工され、一見して値の張る品々と分かる。狭くて急な階段を上がると、10畳の広間、5畳の離れなどがそのまま保存されている。お茶屋は遊芸のための場なので、押し入れや間仕切り壁などはない。    ここの「離れ」は必見だ。目の覚めるような鮮やかな群青色の壁で、他の地域では見られない金沢独特の壁という。北陸新幹線のグリーン車にもこの群青色が取り入れられている。一説では、金沢人がこんな派手な色を好むのは、雪が多くどんよりとした日が多いので、せめて内部を華やかにしたいとの表れという。1階に降りて中庭をのぞくと、水琴窟(すいきんくつ)が金属音を奏で、見上げると紅葉が枝に数枚残っていた。    この茶屋街は文政3(1820)年、加賀藩が近辺に点在していたお茶屋をこの一画に集めて町割りしたもので、それがそのまま現在に残っている。メイン通りに出て、「志摩」(国指定重要文化財)に入った。当時から続く唯一のお茶屋で、間口3間(約5・4㍍)、奥行き10間(約18㍍)と細長い。    中に入って驚いた。台所の脇に井戸があり、その手前には石室(いしむろ)がしつらえてある。説明書きには食物を保存した貯蔵庫とある。金沢では夏に氷室開きがあり、冬に積もった雪を氷室に保存して奉納する神事があるが、お茶屋だけにそれが行われていたのかと聞くと、単に食べ物を保存しただけとのことだった。    お茶屋は客の求めに応じて、仕出し屋から料理を取り、芸妓を呼び、遊宴を支える。そのため部屋や衣装、髪飾りは最高のものをそろえて客をもてなすのが仕来りになっている。いわば「貸し屋敷」のような役割だった。    「志摩」代表の島謙司さんによれば、「お茶屋はおもてなしの心を尽くして客をもてなします。客も同じく、もてなしの心に応えます」と話し、その上で「一見さんお断り」の理由について、「もてなす客が芸やしつらえの価値を理解できるかどうかが大切で、客がそれに応じられないと成り立たない世界なのです」と説明していた。支払いもツケで後日払いは「信頼関係が必須です」とも(市内で開かれた講演より)。こうした両者の絆の上で、お茶屋文化が受け継がれてきた。 (「昇龍道」取材班)

妻は元気で留守がいい

女からの自立で男は伸びる  米の収穫が終わると、麦まきの季節。私の農事組合法人では11月3 日にまき始め、20日すぎに終わりました。天候によっては年末までかかり、1月に持ち越した年もあります。裸麦や大麦を作ったこともありますが、今はうどん用の小麦だけで約18ヘクタール。ブランド化を進めている県や農協から、酒米の増産も要請されています。20年前、先祖伝来の田んぼを守るために集団営農に参加した私も、本業

「本」でご論を深める

「特に若い人には本をたくさん読んでもらいたい」  こう語るのは、北海道教育大学札幌校学校臨床教授の横藤雅人氏(64)。スマホやパソコンの普及で活字離れが進んでいるといわれる中、教師を志す学生に良きアドバイスを送るという意味で大学では定期的にブックトークを開催している。

白菜のピリ辛重ね蒸し

【材 料】 < 3 ~ 4 人分 調理時間:30 分> 白菜・・・・・・・1 / 4 個 小麦粉・・・・・・大さじ2 だし汁・・・・・・・・・300cc 醤油・・・・・・・・・・50cc みりん・・・・・・・・・50cc 豆板醤・・・・・・小さじ1

母を師と慕い絵の道へ

「スピリチュアル・アート」と呼ばれる抽象画の上に龍や仏絵を描いた画家の母(龍敬子)に師事し、絵の道へ進んだ龍惠理子さん。親子画家の作風は似ることが多い中、龍母娘の作風は一目見ても異なる。絵から発せられる波動を意識した力強い絵を描いた母・敬子さんとは違い、惠理子さんの作品は、「癒し」をテーマに母子や天使、観音などを描く、線を彫り込んだ独特の技法と温かみある色遣いが特徴だ。

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