サンデー編集部

緑が花開いら魅了の歌声

 大城バネサは、れっきとした本名。祖父母が沖縄出身で、その代に移民としてアルゼンチンに渡った。公用語はスペイン語で、自身は全く日本語は話せなかったが「意味は分からなかったけど、幼い頃からいつも日本の歌を歌っていました」。

原因不明の消化器官出血(OGIB)

~多くは小腸に病変~  原因不明の消化管出血(O G I B )とは上部消化管内視鏡検査および下部内視鏡検査で異常がなく、出血源が不明な消化管出血とされています(第5回カプセル内視鏡の臨床応用に関する研究会2010カプセル内視鏡研究会用語委員会)。消化管出血の5%を占め、その多くは小腸に病変があるとされています。ただ出血源が上部下部消化管に存在するが、上下部内視鏡検査では診断が困難な症例も少なくないため注意が必要です。(看護師・岡本澄美子)

犬山城

~色濃く留める城下町の名残り~  木曽川沿いの小高い丘の上に聳(そび)える「国宝犬山城」は、現存する日本最古の様式の天守閣として知ら れている。名鉄・犬山駅からその姿を望める犬山城まで歩いて向かった。  案内板に従って犬山駅の西口から10分ほど進んでいくと、犬山城が聳える丘まで真っすぐ続く城下町のメインストリート「本町通り」に行き当たる。    それまで所々に城下町らしさの名残が感じられる程度だったのが、本町通りの両側に古風な木造建築を模した多くの土産物屋などが立ち並ぶ光景が目に飛び込んできた。実際に本町通りには、幕末から明治初年に建築された国の登録有形文化財「旧磯部家住宅」など古い町並みの姿も残っている。    犬山の城下町は、中心の町人町の周りを囲むように侍町があり、防衛上の要所に寺院を配置。さらに城下町の周囲に掘や土塁を巡らせた“城と城下町が一体”となった“総構え”の形で築かれた。そんな江戸時代ごろに形成された町割りの形を今も残し、城下町としての名残を色濃く留(とど)めている。    例えば、犬山城が聳える丘の麓にある針綱神社の祭礼「犬山祭」では、今も城下町時代からの町割りでった13町内ごとに「車山(やま)」と呼ばれる縦に細長い作り山車の上で、からくりを使った演目を奉納するのだとか。通りを歩くと、尾張北部の商業・産業の中心地であった犬山の城下町であった頃の人の繋(つなが)りや風習が、今も息づいているように感じられた。     そんな通りを抜けると、正面に遠くに見えていた犬山城が大きく見えてくる。城下町の景観のため犬山城周辺地域の電線を地下に埋めたのも、空が広く見えるのも城を大きく見せるのに一役買っていただろう。    犬山城は天文年間(1532~55年))の初めごろ、織田信長の叔父に当たる織田信康が城下町の南にあった木ノ下城を移して築城したと伝えられている。現存する天守の創建年代は天正(1573~92年))ごろ、慶長(1596~1615年)ごろと諸説あり明らかになっていない。  だが、その古くから続く歴史や伝統が大勢の外国人観光客を引き付けているようだ。犬山城の城門前では多くの外国人たちの姿が見受けられた。    犬山城内の角度が急な階段を上り下りするのは、少し辛(つら)いが最上階からの眺めは絶景。木曽川の方から吹き付ける涼しい風を浴びながら見る、犬山の豊かな自然は、見えた景色の先に足を運ばせたくなる魅力があった。    展望台で擦れ違った外国人のカップルは、この後、自転車(ロードレーサー)を借りて木曽川沿いの遊歩道をサイクリングするのだと話してくれた。

乳がん検診で早期予防

 成人女性の約12 人に1人がかかるとされる国民病の乳がん。リスク要因といわれる肥満の割合が全国一の沖縄では、乳がんの死亡率、罹りかん患率ともに上昇傾向にある。

夏野菜の焼き浸し

【材 料】 <3~4人分 調理時間:20 分><漬け時間:120分> 茄子・・・・・・・3本 オクラ・・・・・・6本 ミニトマト・・・・6個 ちりめんじゃこ・・60g 大葉・・・・・・・4枚

個性を信じ、共に成長

 「誰も自分でズルしようとか、怠けようと言う人は本質的には一人もいない。その仕事を任されたら、何とか成果を残したい、やりたいと思うのが人の本性だと思う」

関鍛冶伝承館(関市)

 岐阜県関市は、刀匠の町である。室町時代には刀匠300人を数え、「折れず曲がらずよく切れる」関の刀はその名を全国に知られるようになる。それ以降、優れた実用性を誇る関の刀は、戦国時代、戦場の武士たちに愛用された。有名な「関の孫六」は二代目兼元のこと。  関市の刀鍛冶は、鎌倉時代に刀祖・元重がこの地に移り住んだことに始まる。刀作りが盛んになり名刀が生まれるようになった背景には、良質の焼刃土と炉に使う松炭、良質な水、そして長良川の水運があった。    日本刀作りの伝統を背景に近代に入って刃物産業が盛んになり、世界的な刃物メーカー、フェザーなども生まれる。市内には、、カミソリのテーマパーク「フェザーミュージアム」や「刃物会館」もある。    「関鍛冶伝承館」は、そんな関の刀鍛冶の伝統を知るには絶好の施設。1階には兼元・兼定をはじめとする古今の名刀が展示されている。記者が訪ねた時には、イヤホンガイドを聞きながら熱心に名刀の展示を観みる何人もの外国人の姿が見られた。日本刀に関する基礎知識、刀作りのさまざまな工程などが分かりやすく展示されている。  隣の工房で日本刀の鍛錬の実演が行われると言うので見に行く。実はこれが目当てだったのだが。    白い装束に身を包んだ刀匠が現れ、炉に火が入れられていよいよ 刀鍛冶の実演が始まった。指導役の横座と大槌(おおづち)を打つ先手に分かれて、相槌を打ちながら、真っ赤に熱せられた鋼を打つと火花が散る。それを何度も繰り返す。「折り返し鍛錬」という、強い鋼を作るための最も基礎的な作業である。  それが終わって、刀匠の吉田研さんが、刀作りについて説明をしてくれた。「使う炭は備長炭がいいと思われるかもしれませんが、備長炭は火が回るのに時間がかかり炉の温度を下げてしまうので、松炭を使います」 「日本語には、『焼きを入れる』『とんちんかん』と言う言葉がありますが、『とんちんかん』は、槌を下ろし損ねて変な音が出たことからきています。それくらい刀鍛冶に由来する日本語は多いんです」  なるほど、日本語の中に刀鍛冶に由来する言葉が、こんなに根付いているとは知らなかった。強さと柔軟さと美しさを持つ日本刀、そして刀鍛冶に日本文化の精髄が生きていると実感した。     関鍛冶伝承館での鍛錬の実演は毎月第1日曜の午前10時半からと午後1時半から2回行われる。

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