サンデー編集部

焼肉ちらし寿司

【下準備】 ミニトマトは半分に切り、パプリカはスライスにします。 【作り方】 ①炊きたてのご飯茶碗3杯分に、表記してある分量のすし酢をまんべんなくまわしかけ、しゃもじでご飯を切るように混まぜます。 ②熱したフライパンにごま油と牛細切れを入れて中火で炒めます。火が通ったら、焼き肉のタレをまわしかけてよくからめます。

篝火の下の幻想ドラマ

木曽川水系の清流、長良川は鵜飼いで有名だ。その「清流長良川の鮎」は平成27年、農業水産技術での指定では全国で初めて世界農業遺産に登録されている。鵜飼いで獲とれた鮎はすぐ鵜が活いけ締めにするので、美味しさはかの北大路魯山人も太鼓判を押している。 長良川の鵜飼いは岐阜市と関市の2カ所で行われている。少し上流にある関市へはJR美濃太田駅から第三セクターの長良川鉄道に乗り換えてゆく。鵜飼い見物の屋形船の出る小瀬の川岸に着くと、鵜匠が鵜を入れた駕籠を担いでやって来て、鵜舟は一足先に上流へ向かった。 午後7時ごろ屋形船も上流へ漕こぎ出す。清流に浮かび、対岸の森の鳥の鳴き声を聞いたり、夕食の弁当をつかったりしながら暗くなるのを待つのである。 鵜飼いは全国12カ所で行われているが、岐阜の長良鵜匠6人と小瀬の3鵜匠は、宮内庁式部職に任命されている。その一人、足立陽一郎鵜匠が鵜飼いについて説明をしてくれた。 「腰こしみの蓑は、鵜に魚を吐かせるときなどに掛かる水しぶきで体が冷 えないようにするために着けています」 「鵜の首を縛るものを首結いといいますが、指1本が通るほどの間隔を開けて結びます。大きな魚は通さず小さな魚はそのまま喉を通って鵜が食べることができるようにしています」 そうするうちに、日はとっぷりと暮れた。上流から篝火を舳先に掲げた鵜舟がゆっくりと下って来た。いよいよ鵜飼いの始まりだ。 篝火と鵜舟の舳先、そして鵜匠と手縄の先にいる鵜だけが闇の中に浮かび上がる。鵜匠は鵜の動きを真剣に見詰め、手縄を捌さばいている。鵜たちは懸命に魚を追っている。闇の一画で幻想的なドラマが演じられている。 そのドラマに心を奪われているうちに、船は、船着き場あたりに戻っていた。足立鵜匠が「シーズンが始まったばかりということで鮎はまだ小さい」とこの日の漁の結果を説明したが、「河かこうぜき口堰ができてから魚が少なくなった」という言葉には、悔しさもにじんでいるようだった。 小瀬鵜飼予約=関遊船:&0575(22)2506 HP・URL= http:www.ozeukai.net (「昇龍道」取材班)

反日反米運動に抵抗

「沖縄県が日本になって本当に良かった。当時反対した人も、今ではほとんどが喜んでいる」こう振り返る上原義雄さん(82)は、教員の立場で祖国復帰運動を推進した数少ない人物だ。琉球大学工学部を卒業後、気象台への就職を断り教員の道に進んだ。

親を失った10代の胸中描く

交通事故、ガス爆発事故、自殺、通り魔殺人とそれぞれの理由で親を失った13歳の4人の少年少女、ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコは火葬場で偶然、出会った。「悲しいけど、涙は出ない」そんな子供たちの複雑な心情や大人への感情、心のひだを描いた映画「ウィーアーリトルゾンビーズ」が、現在公開中。

二つの「じりつ」父の遺訓

空手家としてその道を極め戦後、極真カラテを世界に広めた大山倍達氏が亡くなって25年が経った。その次女である大山恵喜さんは現在、アーティストだ。恵喜さんは「父は極真カラテを作り上げたが、私は組織とは無関係だし、父の遺産相続も放棄した」と極真カラテとは一線を引く。

牛肉の味噌煮込み

【下準備】 こんにゃくは食べやすい大きさに切り、人参は皮をむいて乱切りにします。長ネギは、青い部分は残し白い部分は千切りにします。 【材 料】 <3~4人分 調理時間:80 分> 牛もも肉ブロック・・・・・400g 人参、長ネギ・・・・・・・各1本 赤味噌・・・・・・・・・・100g おろし生姜・・・・・・・・・40g 水・・・・・・・・・・・9カップ

人気の武将隊、豪華絢爛の本丸御殿/名古屋城

昇龍道を行く(9)  名古屋城天守閣の金の鯱“金シャチ”の高さ約3㍍の実物大レプリカが、今月下旬まで大分空港(国東市)の出発ロビーに展示されている。名古屋の観光PRの一環で、中部国際空港セントレアとの直行便のある空港で行っており、今回で8カ所目。  その名古屋城の金シャチを見ようと、地下鉄市役所駅を降り、美味しそうな名古屋めしの店が並ぶ金シャチ横丁を通って城内に。二之丸広場に行くと、甲冑姿の侍や忍者が演武をやっていた。名古屋城ゆかりの武将に扮した「名古屋おもてなし武将隊」と「徳川家康と服部半蔵忍者隊」だ。この日は「名古屋城検定」の紹介も行われ、武将が出したクイズに観客が答えている。  クイズが終わると、今度は各武将との写真撮影会。武将はみなイケメン揃いで、それぞれ50人ほどの列ができた。ツーショットを撮ってもらうだけでなく、短い会話で交流を楽しんでいる。  徳川家康公の列に付いたオーレ・クリスチャン・ネルソンさん(28)はノルウェーからのツーリスト。武将隊のことを聞くと日本語で、「とてもカッコイイです。わたし源平、幕末、戦国の歴史、侍、忍者大好き」と言う。  織田信長とのツーショットに満足げなのは静岡県浜松市から来た鈴木みな美さん(30代)。仙台の青葉城を訪ねた時、おもてなし武将隊に感激、名古屋城にもあると聞いてやって来た。「歴史は詳しくないのですが、とても勉強になります」  日本三大名城に数えられる名古屋城だが、昭和20年の空襲で、天守閣や本丸御殿などほとんど焼失してしまった。しかし、江戸時代の文献や、昭和戦前期の古写真、実測図など豊富な資料が残されていた。それを元に、約9年がかりで本丸御殿の復元工事が行われ、昨年6月に完成、公開が始まった。  本丸御殿は、徳川家康の命で尾張藩主の住居・政庁として慶長20年(1615)に建てられた。京都の二条城と並ぶ近世を代表する書院造の建造物で、13棟の建物で構成される。戦災を免れた障壁画も復元されている。  木曽ひのきをふんだんに使い、天井の装飾や柱などの飾り金具も当時のままに再現。圧巻は、彩色を付した欄間で、日光東照宮にも劣らない豪華絢爛なものだ。これら全て戦火で失われた御殿を当時のまま再現するというところに、名古屋市民の意地と誇りを感じる。  天守閣は耐震問題で閉鎖中だが、剛毅な河村たかし市長は、天守閣も木造で再建する計画を進めている。 (「昇龍道」取材班)

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