カルチャー

頼朝が造った武士の都・鎌倉

 鎌市の鶴岡八幡宮に開設された「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」(来年1月9日まで)を見て4月初め、源頼朝が開いた武士の都・鎌倉のまち歩きをしました。 太平洋に面する鎌倉は三方を山に囲まれた防衛上に有利な場所で、源氏ゆかりの当地を拠点にしたのも、頼朝の軍事感覚です。平地に開かれた相模や武蔵の国の国府があった場所に比べると、はるかに守りやすいのですから。

真珠院の八重姫供養堂

 願成就院の先にあるのが、悲劇の女性、伊東祐親の娘・八重姫を祀まつる真珠院の八重姫御堂です。 真珠院という名は、八重と侍女たちが身を投げた松川の真珠ヶ淵から取られたそうです。伊豆で流人暮らしを続ける源頼朝と恋に落ち、男児をもうけますが、平家の怒りを恐れた父の命で松川に沈められ、それを知った八重も入水し、無念の死を遂げたとされています。

北条家の氏寺 願成就院へ

 大河ドラマで歌舞伎俳優の坂東彌十郎さんが演じる北条時政が人気になっています。時政は謎の多い人物というか、史料があまり残されていないので、脚本家の三谷幸喜さんが自由に想像を膨らませている面もあります。

韮山駅から「政子コース」を歩く

 伊豆箱根鉄道の韮山駅から歩いて行けるもう一つの道が「政子コース」。政子は北条時政の長女、周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻になったことで歴史の表舞台に躍り出ます。頼朝の死後も「尼御台」として活躍し、征夷大将軍を継いだ嫡男の頼家、次男の実朝が相次いで暗殺されると、京から招いた幼い藤原頼経の後見役として幕政の実権を握り、尼将軍と称されるようになりました。

北条義時ゆかりの地を巡る

 昨年12月15日、快晴に恵まれ北条義時ゆかりの地を歩きました。出発は伊豆箱根鉄道の韮山駅。雪を頂いた富士山がきれいに見えます。源頼朝と政子、そして義時も富士の峰を仰ぎながら暮らしていたのでしょう。

頼朝がつくり義時が固めた武家政権

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公は北条義時、鎌倉幕府第2代執権で北条得宗家の祖とされる武将です。得宗とは北条氏の惣領のことで、初代は時政、義時はその次男なので第2代ですが、鎌倉幕府の初代頼朝から3代にわたる源氏将軍が1219年に滅亡すると、義時が鎌倉幕府を実質的に支配し、対立した父時政も追放したので、関東御家人たちから得宗家の祖と敬われたのです。

青年期から社会福祉に意欲

実業家の福祉活動というと、経営の一線を退いてから、私財を投じて行うことが多いのですが、渋沢栄一は第一国立銀行を設立した直後の明治7年から、多忙な仕事と並行して福祉に関わりました。そのきっかけは同年、大久保一翁東京府知事の要請で東京会議所(後の商工会議所)会頭に就任したことです。明治3年、ロシア皇太子の来日に際し、市内のホームレスは恥さらしだと収容所を設けて収容されました。それが会議所の管轄になって東京養育院と命名され、会頭が院長を兼ねることになっていたのです。栄一はその運営を「一身上からは不利であるが、社会のためと思い進んでお引き受け」しました。

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