塀の外にある家族の日常
青々とした広い芝生に、プールのある庭、子供たちの笑い声――。1945年、アウシュビッツ収容所の塀を隔てた場所に、のどかな家族の日常があった。
裕福で出世欲の強い強制収容所の所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、庭いじりが趣味の妻ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)と子供たち、使用人らと共に暮らしている。広い庭を持つ、漆喰作りの2階建て邸宅での、豪華な暮らしぶり。そこから空を見上げると、巨大な建物から煙が上がっていた。
塀の向こうで行われていることを、一家は知らないわけではない。絶え間なく聞こえてくる銃声や怒号、死体を焼く煙が空に浮かぶ光景も、生活に溶け込んでいる。傍から見れば異様な日常が流れていく。
本作は、ポーランドのオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方㌔㍍の地域をナチス親衛隊が表現した「関心領域(The Zone of Interest)」をテーマにしている。アウシュビッツを題材にした映画は数多いが、この観点の作品は珍しい。
実際、収容所の中の光景が本作中で映し出されることはない。すべてのシーンが塀の外での出来事である。ただ、そこから漏れる音や煙、灰から確実に収容所の存在は感じられる。それをよそに平然と、幸せそうな家族の日常が共存していることに底知れぬ違和感が湧いてくる。
強制収容所の所長であるルドルフの会話には、収容者の扱いに関する生々しいやりとりもある。しかし、塀の向こうで行われていることに彼らが無関心であったのか、憎悪か何かしらの感情を抱いていたのかは最後まで釈然としない。

ジョナサン・グレイザー監督は、新鮮さを意識するため、当時まだ真新しい姿であったアウシュビッツ強制収容所とヘス一家が住む数年前に建てられた新築の邸宅を再現。今では高さ15㍍ほどになっている木々も当時は苗木で、すべてを新しいもののようにカメラに収めたと語っている。
マーティン・エイミスの小説が原作。第96回アカデミー賞 国際長編映画賞 音響賞、第76回カンヌ国際映画祭 グランプリ他、受賞多数。新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中。(辻本奈緒子)