織田信雄との講和に動く
天正11(1583)年、織田家筆頭家老の柴田勝家を滅ぼした秀吉は天下人への歩みを進める。それを苦々しく思っていたのが信長の後継を目論む次男信雄と、東海の有力大名として強大な兵力を擁するようになった徳川家康である。信雄と秀吉との対立が深まると、秀吉打倒の大義名分を得るため家康は信雄と同盟を結んだ。
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天正11(1583)年、織田家筆頭家老の柴田勝家を滅ぼした秀吉は天下人への歩みを進める。それを苦々しく思っていたのが信長の後継を目論む次男信雄と、東海の有力大名として強大な兵力を擁するようになった徳川家康である。信雄と秀吉との対立が深まると、秀吉打倒の大義名分を得るため家康は信雄と同盟を結んだ。