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秋に思う人生の意味

今を喜びで満たす  秋のお彼岸に合わせるかのようにヒガンバナが咲きました。人生の季節も秋を迎えると、生きていくことの意味をしみじみ考えさせられます。志望の大学に入ったものの、理想を追い過ぎて中退し、父を病気で失ったばかりの母をさらに悲しませました。

塩硝、養蚕、和紙が生活の糧

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《25》 五箇山  岐阜県白川郷と並び、世界遺産の合掌造り集落・富山県五箇山を訪ねた。菅沼と相倉(あいのくら)の二つの集落から成り、知名度は白川郷ほどではないが、観光地化されていないのが魅力。周囲を険しい山々に囲まれ、秘境という言葉がしっくりくる。藩政時代の生活の糧は養蚕、塩硝(えんしょう)、和紙漉(す)きで、それぞれの施設を見学できる。    まず、菅沼集落を散策した。庄川の谷あいに舌のようにせり出した河岸段丘にあり、背後の急斜面はブナやトチ、ミズナラの雪持林(ゆきもつりん)になっている。集落を雪崩から守る林で、古くから伐採が厳しく禁じられてきた。ここに9軒の合掌造り家屋が残っている。    「塩硝の館」と「五箇山民俗館」を訪ねると、両施設とも合掌造り家屋を公開して展示している。塩硝は火薬の原料で、加賀藩前田家が流刑地だったこの地で密造してきた。薄暗い表戸を入りスリッパに履き替えて、道具や材料を展示している部屋を順に見て回った。材料は麻畑の水気のない土に蚕の糞、たばこがらなどを仕込んで土作りし、4年間寝かせる。できた塩硝は木箱に入れて人足が背負い、険しい尾根を幾重も越えて金沢まで運んだ。その様子がジオラマで再現され、道程の厳しさがよく分かる。    一方、民俗館では生活用具約200点を収集・展示している。使い古された竹細工などを見ると、雪深い山村の暮らしにいにしえの知恵と技術が息づいていたことが連想される。その中に、祭りで使う楽器のササラが置いてあった。両手にとって“シャッシャッ”と鳴らしていると、若いカップルが入ってきた。男性がやりたそうだったので手渡すと、童心に帰ったように鳴らしてご満悦だった。上海から来たという。    奥座敷には祭礼に使う輪島塗の朱塗りのご膳が並んでいた。受付の年配の女性に聞くと、年に1度、秋の報恩講で今も使っているという。ご膳は能登半島の先端・輪島から120㌔余りも離れたこんな僻地まで運ばれていた。その販売網の広さに驚かされる。彼らは定期的にやって来て傷んだ箇所を修理していった。今見ても新品のようにきれいだった。    続いて国道156号を富山方面に15分ほどバスに揺られ、相倉集落に向かった。こちらは山の中腹に20軒が散在している。民宿「勇介」に入った。今も1組限定で民宿を続けているとのこと。2階と3階には養蚕業を営んでいた往時を再現し、蚕の育つ様子や糸引きなどの工程を模型で分かりやすく解説している。    囲炉裏の傍に展示された1枚の写真が目に留まった。天皇陛下が皇太子の頃訪問された折の写真で、珍しい浴衣姿で学友とくつろがれている。女将さんによると、この時は村長宅に宿泊され、夕方学友と一緒に足を運ばれ談笑されたという。  近くには「五箇山和紙漉き体験館」もあり、A3サイズの和紙やハガキを漉くことができる。五箇山集落へは北陸新幹線の新高岡駅から世界遺産バスが1日5往復運行しており、利用しやすい。 (「昇龍道」取材班)

森林とエゾシカの共生

「北海道ではエゾシカが増え続け、森林や農作物に大きな被害を出しています。森の大切さ、エゾシカの有効活用について考えてみましょう」10 月5、6日の2日間、今年で4 回目となる道央部・当別町にある道民の森で開かれた「エゾシカと森林わくわく体験ツアー」で主催のNPO法人エゾシカネットの水沢裕一理事長(67)は、参加者に優しく問い掛けた。

柔軟に多彩な分野対応

 佐渡を拠点に国際的な活動を行う和太鼓集団「鼓童(こどう)」のメンバーである、中込健太さん(34)、地代(じだい)純さん(27)、三浦康暉(こうき)さん(27)に話を聞いた。

秋鮭ときのこの生姜焼き

【材料】 <2人分 調理時間:20分> 秋鮭・・・・・・・・・2 切れ 椎茸・・・・・・・・・・6 房 しめじ・・・・・・・1 パック エリンギ・・・・・・1 パック 生姜・・・・・・・・・・・80g スプラウト・・・・・・・適量 塩胡椒・・・・・・・・・・適量

世界より国体でタイトルを

 茨城県で開催された、いきいき茨城ゆめ国体で史上初めてeスポーツが文化事業という形で行われた。「今年は絶対に国体で勝ちたかった」。こう話すのは、山中智瑛さん(26、写真左)だ。山中さんは、レーシングゲーム「グランツーリスモSPORT」に、4歳からの友人でもある高橋拓也さん(25、同右)と共に栃木県代表として出場した。

焦がしチーズの野菜チヂミ

【材料】 <3~4人分、調理時間:20分> ニラ・・・・・・・・・・1 束 万能葱・・・・・・・1 / 2 束 人参・・・・・・・・1 / 2 本 モッツァレラチーズ・・・100g ごま油・・・・・・・・大さじ2 <生地> 小麦粉・・・・・・・・・160g

大腸がんで死なないために

~陥没・平坦型は内視鏡検査を~  大腸がんとは大腸(結腸、直腸、肛門)に発生するがんで、正常な粘膜から発生するものと線種という良性のポリープががん化するものがあります。近年増加傾向にあり、罹り患かん率は男性は胃がん、肺がんに次いで3番目、女性は乳がんに次いで2番目です。男女総合では最も罹患率が高いがんですが、早期に発見することで完治が可能ながんです。 (看護師・岡本澄美子)

白川郷 黄金色とのコントラストが絶妙

観光立国への新ルート 昇龍道を行く《24》  合掌造りの里・白川郷(岐阜県白川村荻町)は評判通り、内外の観光客であふれていた。庄川河川敷の村営せせらぎ公園駐車場と対岸の合掌集落を結ぶコンクリート製のつり橋「であい橋」は、中部国際空港から直行の観光バスが到着するたびに、台湾や中国など中華圏からの観光客が降り立ち、立ち往生することもしばしば。3日間の「昇龍道フリーバスきっぷ」で飛騨高山と白川郷を巡り、最終日には金沢や富山に向かう。    観光地特有の喧噪を離れて、集落を見下ろす荻町城跡の展望台を目指した。村内からシャトルバスが20分ごとに出ており、10分ほどで着く。片道200円。そこに上がると、眼下に合掌造りの民家が箱庭のように広がっている。    記者が訪れたのは9月20日で、この時はまだ稲刈り前の田も残り、合掌造りと黄金色のコントラストが絶妙だった。日本人スタッフが流暢な中国語で、手際よく撮影ポイントをガイドしている。帰りは風景を愛でながら、急な坂道を徒歩で降りて白川郷で最も大きい和田家(国重文)を目指した。    この荻町集落には100軒を超える合掌造りの家屋が立ち並び、いずれも住民の生活空間でもあることから、私有地への立ち入りを禁止する貼り紙が目立つ。民宿の軒下には真新しい薪が高く積み上げられ、縁側には客用の布団が天日干しされ、冬支度が始まっていた。村落は欧米の熟年カップルやリュックを背負った海外の若者グループも散策し、国際色豊かだ。    和田家は築300年ほどで、藩政期は名主や番所役人を務めた。養蚕を生 業とし、黒色火薬も製造していたという。五箇山(富山県)の合掌集落とともに、加賀藩前田家お抱えで、煙硝が密造されていた。「加賀の塩硝は日本一良質」との評判で、貴重な収入源でもあった。幕府の目を逃れ、人里離れてたどり着くのも厳しい村は、密造にはうってつけだった。  同家は現在も住居として使われており、1階の一部と2階部分が公開されている。1階には居間、寝室、客室、仏間など8部屋あり、仏壇には「如来恩講」の文字が見える。この地域は代々真宗の信仰が受け継がれてきた。居間の中央には囲炉裏があり、年中炭火を絶やさないという。その上には、熱を拡散させて部屋を暖める火棚がぶら下がり、そのまま屋根裏も暖める仕組みだ。    屋根裏には居間の隣に設けられた急な階段を上がる。そこには合掌造りの屋台骨がむき出しで、構造がよく分る。又首(さす)と呼ばれる2本の丸太を棟で交差させ、梁両端に差し込んでいる。どれも黒光りして艶があり、ここで営まれてきた暮らしの重みを伝えている。 (「昇龍道」取材班)

醤油麹の筑前煮

【下準備】  鶏もも肉は3cm の角切り。ごぼうは乱切りにして流水し、アクを抜き ます。レンコン、人参は皮を剥き、一口サイズの乱切り。こんにゃくは一 口サイズにちぎり、茹でてザルにあげます。椎茸は4等分にスライス。さ やいんげんは軸を落とし、サッと塩ゆでして水に取り、粗熱をとります。 【材料】<4人分 調理時間:30分> 鶏もも肉・・・・・・・・・1枚 ごぼう・・・・・・・1 / 3 本