ひと

子供たちの可能性を見つける

 学校から足が遠ざかり、外出できずにいる児童や生徒に特化した「オンライン家庭教師」として、日本各地の子供たちと接している辻田寛明さん。会話を通じて子供たちの興味や可能性を引き出す仕事に、日々やりがいを感じている。

日々に感謝し、辛いことも楽しむ

新型コロナウイルスで、多くの人々が苦しむ中、「人生座」という劇団を立ち上げた女優・佐藤康恵さん。  さまざまな業種の経営者などが集まるセミナーに出席した際、「そんなに大変だったら、いっそのこと劇団を作ってしまえば、応援するから。セミナーで発表すればいいんだから」とそのセミナーの責任者から背中を押された。急遽、手弁当で何とか脚本を書き上げた。セミナーに参加していた顔見知りの舞台俳優などに声を掛けて人数をかき集めた。

日本の心伝える童謡の伝道師

「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」日本人なら誰でも知っている童謡「赤とんぼ」。実はこの歌には英語版がある。翻訳したのは、これまで100曲もの童謡を英訳し、「童謡の伝道師」とも呼ばれるグレッグ・アーウィンさん。

食を通じて武士道伝える

 日本の歴史上で250年以上にわたって戦のなかった江戸時代。平和な世の中における武家のおもてなしであった饗応料理の研究を続ける緋宮栞那さんは、食を通じて武士道精神の魅力を国内外に発信している。

文章や言葉より映画で伝えたい

「第2次大戦時の知られざる体験談が出てきている。映画人としてそれをどう伝えていくのか、映画はそうした意味でも映像として残せるものだと思う」  そう語るのは現在公開中の映画「アーニャは、きっと来る ユダヤ人を救った少年の物語」で監督を務めたベン・クックソンさんだ。

病魔払った復帰への強き思い

 東京・六本木(港区)を中心に開催された第33回東京国際映画祭。数年前まで、映画祭の関連イベントとして、映画の予告を特集する企画『新作映画!イッキに見せます!』が開催されていたが、しばらく行われていなかった。

"芸"は神なり、"術"は人なり

橘天敬(本名・中山義文、1906~1984)は主に昭和期に活躍した日本画家だ。京都に生まれ、1922年には上野美術学校専科(現、芸大の予備校)に入学。翌年9月には、校内で関東大震災に遭遇し、惨状を目の当たりにしたことで仏画を志した。50年5月には画号を橘天敬と改名し、以降は岩絵の具と金箔でダイナミックな障壁画(屏風絵)の連作に取り掛かるようになった。20代から晩年に至るまで世界中を飛び回り、作品の多くは広く海外に渡っている。日本の伝統を重んじながら、あくまで独創性とロマンを追求したその独特な画風は躍動感に満ちている。

人気の記事